5981.2024年1月6日(土) 年賀状について思うこと

 これはあくまで個人的な幾分僭越な感想である。今年いただいた年賀状を拝見していると、いろいろなことが頭を駆け巡る。特に、高校、大学時代の親しかった友人からもらった年賀状は、いろいろ楽しかったことや事件を思い出させてくれる。だが、今やお互いに85歳になった。人生百年時代になったとは言え、やはり年齢、衰えが感じられる。これまで長い間交流を続けて来られたのに、来年から年賀状を辞退させて欲しいというほんの一行が一番寂しい。この間まで校庭を一緒に駆け回っていたのに、随分ジジ臭いなと思っている。でもそれが今の時代なのかも知れない。自分の都合ばかり言うわけにはいかない。というのは、私より若い人から高齢になったので、来年から遠慮させていただきたいとの年賀状が近年かなり多いのだ。実際今年の年賀状の中に、この種の言葉を書き添えてあった人が10名ほどいる。来年から確実に年賀状の数に数えられない人である。

 私に限らず、今国内では年賀状の販売数が随分落ちたようだ。そればかりでなく、切手やハガキの販売枚数も減って、手紙のやり取りも減っているようだ。普段手紙を書かなくなったのである。私より若いのに、高齢なので来年以後は遠慮したいとの年賀状は、このところ毎年増える一方である。少々生意気なことを言わせてもらうなら、年賀状を遠慮したいというのは、年賀状の本来の主旨が充分分かっていないからではないかと些か気になる。普段以前のように頻繁に会うことがなくなったので、双方がこの1年間の家庭や身辺事情を伝え合い、相手の新年の幸せと健勝を祈るというのが目的であり、相手からも気持ちを知らせてもらう年頭恒例の挨拶状でもある。

 僭越だが、私の場合、亡くなられるまでご厚誼をいただいていた千葉市立幕張小学校の恩師、湯浅和先生の影響が強いこともある。先生は小学生だった我々生徒に向かって、まず1枚の年賀状を机の前において宛先の人に思いを馳せ、それから文面と宛先をペンで書くよう教えてくれた。当時印刷用具なぞなかったので、すべて手書きだった。先生は生徒に版画の作り方を教えてくれ、当時意味は良く分からなかったが、「賀正」と「元旦」の文字に、十二支を彫刻刀で彫ることを丁寧に指導してくれた。その後版画制作は大学を卒業するまで続いた。今ではパソコンで画像、文章を描くが、気持ちは当時とあまり変わらない。従って、相手先の住所及び氏名をPCで作成し、年賀状に一文字も自筆で書かないのは恩師に逆らっているようで、とてもできず、今もあて名書きは万年筆をとっている。文字も絵もすべてPCで機械的に仕上げられるとどうも気持ちが伝わってこないような気がしてならない。まぁ時代の趨勢だとは思うが、それだけに感情が表されることが少なくなった現代において、せめて年賀状ぐらいはと万年筆に拘って書いている。時間的に厳しいという御仁もいるだろうが、加齢とともに時間的には余裕が生まれている筈である。多分年賀状を書くのが億劫だからという理由から、年賀状を遠慮したいと断って来るのではないかと思う。

 来年からまた作成枚数と受け取る枚数は減っていく。毎年年賀状を拝見することは、相手の現在を知ることが出来るお正月の大きな楽しみである。私自身まだ書ける内は、年賀状を来年度以降も自分なりに書き続けていきたいと思っている。

2024年1月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com