5952.2023年12月8日(金) ハワイとマレー半島で太平洋戦争始まる。

 82年前の今日、日本海軍がハワイの真珠湾を急襲し、陸軍はマレーのコタバルとタイのシンゴラに上陸して悪夢の太平洋戦争の火ぶたが切られた。当時まだ3歳だったので、当然開戦は記憶にはないが、その後父の転勤により兵庫県芦屋市へ転居した後からは、朧げに戦争の記憶がある。空襲警報のサイレンで防空壕に逃げ込んだことや、家の電灯の明かりが外へ漏れていると警戒警報の知らせをして回っていた消防団のおじさんから、母が小言を言われたことを覚えている。

 小学校(当時国民学校)へ入学した昭和20年の夏休み中に戦争は終わった。終戦直前に怖い体験もあった。入学直後に担任のお母さん先生に連れられてクラスの友だちと校外にあるお花畑へ行く途中で、アメリカの空軍機編隊に襲われそうになった。後方遥か遠くから戦闘機集団がわれわれの方へ向かって飛んできた。それが段々低く飛行し爆音も大きくなった。先生が大声で「危ない!皆さん、伏せなさい!」と両手を上下に振って地面に伏せるよう叫んだ。「危ない!」と思った瞬間、先頭の隊長機が急に機首を上げて編隊とともに飛び去って行った。多分先頭の隊長はわれわれ子どもの逃げる姿が目に入り、自分の子どもでも思い出して銃撃を止めたのではないかと思った。この怖い体験をどうしてだか家族の誰にも話さなかった。そしてまもなく終戦を迎えることになった。成人してからも戦争の怖い体験は、海外で何度か味わった。その臨場感は今でも私の身体にこびりついている。その点では、今の国会議員たちより遥かに戦争の怖さというものを知っていると自負している。

 実際今の戦後世代の国会議員が戦争や、原爆の怖さを知らないことは、いくつもの事例でも分かる。戦後日本政府は戦争の残酷さに懲りて、永久に戦争を放棄すると憲法に決めていながら、泥縄式に自己解釈と拡大解釈で憲法の精神を否定し、警察予備隊を編成し、保安隊から自衛隊へと改組して軍事力の拡大に努めた。今ではアメリカの言いなりになって、仮装敵国をイメージさせられアメリカ製武器を買わされ、敵基地攻撃能力とやらで多額の防衛費を捻出している。同時に、広島と長崎の原爆投下に懲りて核兵器使用に絶対反対の筈の日本が、核兵器禁止条約を批准せず、同条約締結国会議にオブザーバーとしても参加せずに、条約批准国から不信感を買っている。ウクライナ戦争でロシアのプーチン首相が核兵器使用を仄めかしたことに対しても強い反応を示している。戦争を恐れない国会議員らの「戦争」のイメージは、あくまで机上のゲームのようなものであり、絶対にケガをしない。だから戦争は怖くない。悲惨な目に遭わされた原爆を、先ず反対すべき立場の日本が、国家として強い反対の意思表示を避けている。すべて戦争を実体験、或いは臨場感で知らない国会議員が、防衛計画に国民の平和のためにという大前提を忘れているからである。

 さて、今朝新聞で知人の死を写真入りの訃報を見て知った。直木賞受賞者の西木正明氏が敗血症性ショックのため亡くなったという。西木氏とは、日本ペンクラブの会合で知り合ったのだが、偶々高校ラグビー部の2年後輩で、一緒にプレーした故竹内謙・元鎌倉市長が西木氏と早大探検部で一緒に活動した縁から親しくなった。そしてともに竹内氏の市長選を応援したことから、市長の死後鎌倉の東慶寺にある墓地へ彼を案内する話になったまま実現しなかった。手元の抽斗から偶然西木氏からもらった竹内氏の墓参りが出来ないことを詫びるハガキが出てきた。竹内氏は早大理工学部を出ていながらも朝日新聞の政治部三木武夫番記者として活躍していた。2人は随分気が合ったようで、今頃はあの世で10年ぶりに会い、思い切り話に花を咲かせているのではないだろうか。それにしても同年配の友人がまた逝ってしまった。実に、悲しく寂しいことである。

2023年12月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com