2325.2013年9月24日(火) 終戦翌日の読売新聞「社説」

 またかぁ? JR北海道でまた事故騒ぎが見つかった。今日JR北海道白糠駅に停車中の列車の床下から白煙が噴き上がり乗客を降ろし運転を取り止めた。さらに2時間後網走駅近くで特急列車のブレーキが作動しなくなった。連日事故続きの同社の度重なる事故については、国土交通省もしびれを切らして今行っている特別保安監査を27日まで延長し、担当係員を9名から20名に増やして取り組むと公表した。菅義偉・官房長官も公共輸送機関であるJR北海道のこの安全軽視のていたらくに苦言を呈している。

 昨日に続いて物申すが、対応した責任者もおどおどしてこういう事態に馴れていないようだった。もちろん慣れていないのが当たり前だが、自信のなさそうな態度が些か気になった。これから果たして鉄道会社として安全運転を行っていくことができるのか。全社、全社員を挙げて猛省する必要がある。

 さて、今日2ヶ月ぶりに駒沢大学の公開「秋季」講座が始まった。今日は「現代日本政治と報道論」であるが、その菱山郁朗講師から父上が執筆された終戦翌日の読売新聞「社説」について話を伺った。以前にも伺ったことがあるが、終戦直後の重苦しい空気が読み取れる。

 「気力を新たにせよ」と題した論文だが、父上にとっても敗戦が信じられない、慟哭し、悲憤痛憤し、国民の無力を慙愧して天に向かって怒号したい気持ちを覚えたというからその当時相当なショックを受けたことが想像できる。父上は40歳の時この社説を書かれたという。さすが大新聞の社説だけあって説得力のある文章である。

 もうひとつ興味深かったのは、これまで気にも留めなかったが、戦争が終結した後、戦犯を起訴した日が1946年4月29日の昭和天皇誕生日で、処刑した日が1948年12月23日の今上天皇誕生日だったということは初めて知った。アメリカも随分したたかなことをやるものだと思う。日本人が絶対忘れない日時に、日米戦争の犯罪人をまな板に載せようという執念には、彼らの残忍さが伝わってくる。だが、これまで誰からもそのような関連性のある話題を聞いたことはなかったし、書物でも見られなかった。これからこの点を頭に入れておこうと思う。

 自作ノン・フィクションを書いていて、あることをふっと思いついた。旧トラック島を6月に訪問した際ススム・アイザワ大酋長のお墓参りをして、立派な墓石の下で大酋長は永遠の眠りについていることを確認した。ところが、先日父親のご実家でご当主の相澤重男氏からいただいたススムの戸籍謄本コピーによると、ススムは相澤家から籍を抜いておらず、依然として生存していることになっている。つまり日本人の人口の中に、現在もススムが含まれていることになる。

 できれば謎の多いススムのドキュメントの中で、さらに興味を掻きたてるように取り上げてみたいと考えている。それにしても不思議な話である。事実は間違いなくススムは他界した。これは間違いない。だが、日本の戸籍上これも間違いなくススムは生存している。これも大酋長の謎と考えて、これをどうやって作品の中で興味深く描けるか、時間の許す限りもっと考えてみたい。

2013年9月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com