人気作家で直木賞作家の山崎豊子氏が昨晩亡くなられた。享年89歳である。社会性のあるドラマを書いて世間から広く注目された。新聞記者出身だっただけに、丹念に資料を集め現場で取材に時間をかけたドキュメンタリー風な作品が多かった。「沈まぬ太陽」「白い巨塔」「不毛地帯」「大地の子」などの問題作を次々に発表して時代の寵児ともてはやされた時期があった。
「沈まぬ太陽」の主人公「恩地元」のモデルは高校の9年先輩で日本航空に勤めていた故小倉寛太郎さんである。そのせいもありその作品を読んで山崎作品には最初は興味を持っていた。人気ドラマを書いて「華麗なる一族」「白い巨塔」などはテレビでも度々放映され、多くの人から期待を抱かれて次はどんな作品を発表するのかと待ち望まれた。
だが、その周辺には暗い影が付きまとい出した。死者に鞭打つつもりはないが、最も評価を落とし、作家として人間性を問われたのは「盗作」疑惑である。それも一度ならず度々「事件」を起こした。山崎を買いかぶっていた松本清張からも手厳しく咎められた。山崎自身も盗作を認めて一時文壇から身を退いていた。2度目の盗作が明るみに出てからは清張からついに完全に見放され、山崎自身公の場から姿を隠していた。それが清張が亡くなると再び表舞台へ登場し、あるまいことか清張の悪口を言い出したのである。これには呆れ返って山崎の人格を疑った。人間性の問題だろう。以来山崎の作品は読む気にもならない。悪い奴は何をやっても救われない。
戦争で2度までも九死に一生の危ない橋を渡った体験のある池宮彰一郎の「遁げろ家康」や「島津奔る」が、尊敬する司馬遼太郎作品の一部盗作とされ、池宮もそれを認めて筆を擱くことを決め、その後は一切ペンを取ることはなかった。自分自身にレッドカードを突きつけたのである。70歳になってから小説に取り組みその作風に期待していたが、己の人間としての未熟さを反省して潔く作家活動から身を退いた。山崎も少しは池宮を見習うべきだった。
そもそも最初からこの人のトレースには「盗作」の噂が絶えなかった。読んだわけではないが、「花紋」がレマルクの「凱旋門」に酷似していると指摘されてから、芹沢光治良「巴里夫人」、中河与一「天の夕顔」を真似た盗作が次々と判明したくらい恥知らずの作家だった。黄泉の国へ行かれたが、その入り口で松本清張へ何と言い訳をすることだろうか。売れるからと欲の皮ばかり突っ張った出版社もよほどしっかりしないといけないと思う。山崎作品に出演した俳優・仲代達矢や渡辺謙ら多くの著名人が故人の死を惜しみその死を悼んでいたが、心情は理解できるとしても彼らは本当のことが分ったうえで発言していたのだろうか。
山崎豊子は大正13年11月3日の生まれで、幸か不幸か昭和13年11月3日生まれの私とは大正と昭和の違いだけである。普通なら奇遇と言って喜びたいところだが、「盗作者」山崎と一緒では嬉しくも何ともない。
生まれ育った大阪府堺市が好きでずっとそこに居住していたが、偶々堺市は昨日話題を呼んでいたいわくつきの市長選があって、大阪都構想に反対を唱えた現市長が、賛成派の「大阪維新の会」が推す新人議員を破って大きな話題を提供したばかりである。この選挙を機に、「大阪維新の会」の存在に陰りが見えるようになるだろうとの大方に見方がある。
ともかく山崎豊子は黄泉の国へ旅立った。社会派的な作風は高く評価されたようだが、文学者のひとりである彼女が犯した悪質な盗作行為はとても許す気にはなれない。メディアも山崎をヨイショしてちやほやするのは好い加減に止めるべきである。