5894.2023年10月11日(水) 関東大震災、中国大陸侵略に絡む残虐事件

 去る7日に兄と横浜・山下公園の横浜開港資料館(旧イギリス領事館)で開催されている「関東大震災100年展」を鑑賞した。100年前の関東大震災の際、数々の事件が起きたようだが、今まで世間一般には知られていなかった残虐な事件があったことを知り、興味を抱いた。それは、先日9月1日の「震災記念日」に公開された映画「福田村事件」によって改めて注目された残虐な事件である。奇しくも今日知人がこの映画を観て感動したので、観るようFace bookで勧めてきた。

 事件自体も映画と同じ「福田村事件」と言われ、震災直後の9月6日に千葉県福田村・田中村を通った香川県の行商人一行15人が、不意に数百人の地元住民に襲われ、9人が死亡した悲惨な事件である。震災では、多くの朝鮮人が襲って来るとか、「朝鮮人が井戸に毒を流した」などのデマにより、当時住民は「朝鮮人の襲来」に備えて武装していた。そこへ通りかかった行商人が聞きなれない讃岐の方言で話していたために、戦々恐々だった住民らは彼らをつい朝鮮人と思い込み、命乞いをした母娘まで殺害したという残酷な事件だった。気の毒にも被害を受けた行商人らは、皆被差別部落出身者だったために名前もすべて仮名だったという。この事件については、辻野弥生さんが事件と同名の著書を再販しておられる。

 朝鮮人を殺害した事件は、今以て完全に解明されているとは言えない。今年は震災からちょうど100年となったが、10年前には、衆参両議院に対して、質問書や請願が提出された。その中で参議院に日弁連弁護士らが主体となって提出された、関東大震災時の朝鮮人虐殺の真相究明に関する請願にかなり具体的な事実が記載されている。

 「1923年の関東大震災では、多くの朝鮮人や中国人が日本の軍隊や警察、民衆により虐殺された。また、朝鮮人と間違えられた日本人虐殺事件や軍隊による労働運動家・無政府主義者らの虐殺事件も起きた。しかし、特に朝鮮人犠牲者については、名前や人数など、その実態はほとんど分かっていない。事件後、議員が帝国議会において内務省や地方行政が流言飛語の拡大に関わったことを追及したが、当時の首相は調査中と答えたまま90年がたっている。今日まで虐殺の実態について調査を進めてきたのは各地の市民や研究者であり、流言の流布から虐殺、そして事件の隠蔽に至るまでの日本政府の関与が明らかになった。しかし、これまで日本政府は、虐殺・事件隠蔽に関与したことを認めたことはない。2003年8月には、日本弁護士連合会が日本政府に対して責任を認め謝罪し真相を調査するように勧告したが、これも政府は無視してきた。再びこうしたジェノサイドを起こさないためにも、この事件の解明が必要である。以下略」。

 未だ国、官の関わりが不透明であり、今後も同じような経緯を辿るのではないかと考えているが、その一方で真相究明の動きも地味ながら着々と進んでいるので、一応問題点として挙げてみた。

 そして「福田村事件」と同様に、一般人が知らない残虐な事件が、震災から10年近くを経た1932年に中国国内でも起きていたことを知った。柳条湖事件から1年後である。撫順市内の平頂山で村人3千人が日本軍によって虐殺されたという事件である。事件を生きのびた中国人も今では全員亡くなった。事件から2か月後、中国は国際連盟に虐殺を告発したが、日本政府は全面的に否定し、今もそのままである。今年大震災100年に当たって知った残虐な事件であるが、遺族たちは日本政府に対し、これまでに3つの要求をしたが、未だ実現されていない。それは、①事実と責任を認め、公式に遺族に謝罪する、②日本政府の費用で謝罪の碑を建てる、③事実を究明し、教訓を後世に伝える、ことである。

 これほど残忍な事件が、これまでほとんど伝えられなかったのは、日本の占領時代に起きた事件で日本にとって最早遠い過去の事件とみているからだと思う。しかし、戦後80年近く経って未だに事実が広く伝えられないことが信じられない。だが、他にもまだまだ隠れた事件や事実があるかも知れない。闇に光を照らすべきである。

 さて、夜遅くなってから吉報が入って来た。21歳の将棋界のエース、藤井聡太7冠が、永瀬王座に勝ち、残る唯一のタイトルを獲得して将棋界のすべてのタイトルを手中にした。将棋界始まって以来の8冠達成である。メデタシ!メデタシ!

2023年10月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com