5954.2023年9月1日(金) 関東大震災発生から100年

 100年前の今日午前11時58分に関東大震災が起き、10万5千人もの尊い生命が失われた。その悲惨だった1日を忘れないために、また再発に備えるために、今日は「防災の日」と呼ばれている。

 関東大震災は、とかく当時の東京市内の廃墟が紹介されることが多いが、実際の震源地は神奈川県の相模湾北西部だった。従って旧東京市内に劣らず、横浜市でも大規模火災が相次ぎ、地震より火災による死者が10万5千人の内9割を占めたと言われている。経済被害も多く、当時の国家予算の4倍となった。

 多くの犠牲者の中で案外軽視されがちなのは、正確な数は分かっていないが、朝鮮人の死者・行方不明者が多かったことで、その数は全体の1~数%と見られている。中でも今以て外交問題となっているのは、朝鮮人虐殺事件である。大震災発生の混乱の中で、「朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れた」とのデマが流れ、それを真に受けた官憲や自警団などが、多数の朝鮮人や共産主義者を虐殺したとされる事件である。その犠牲者の数は正確には分かっておらず、数百名から約6千名になると推定されている。

 東京日日新聞(現毎日新聞)紙上に「火に見舞れなかつた唯一つの地として残された牛込の二日夜は、不逞鮮人の放火及び井戸に毒薬投下を警戒する為め、青年団及び学生の有志達は警察、軍隊と協力して、徹宵し、横丁毎に縄を張つて万人を附し、通行人を誰何する等緊張し、各自棍棒、短刀、脇差を携帯する等殺気立ち、小中学生なども棍棒を携へて家の周囲を警戒し、宛然在外居留地に於ける義勇兵出動の感を呈した。市ヶ谷町は麹町六丁目から、平河町は風下の関係から(此所新聞紙破れて不詳)又三日朝二人連の鮮人が井戸に猫イラズを投入せんとする現場を警戒員が発見して直ちに逮捕した」。

 真偽は別にして、かなり朝鮮人に対して厳しい差別的な対応をしたことが想像出来る。この大震災に合わせて官憲は、この機に乗じて社会主義者や無政府主義者らも身柄拘束し、殺害した。甘粕事件もこの直後に起きた。大震災は社会的に大混乱を引き起こし、時の政権や右翼にとって弾圧する好い機会になったとも言える。

 関東大震災から1世紀が経過した今日、大震災は歴史上衝撃的な事象と捉えられてはいるが、格別大きな社会問題とはなっていない。しかし、多くの朝鮮人がいわれもなく虐殺された事実については、日本政府は未だかって謝罪をしていないとして韓国内や北朝鮮国内では日本政府に対して謝罪すべきであるとの声が根強く残っている。

 2011年の東日本大震災以来、近い内に再び首都圏を中心に大震災が勃発するとの警戒予報が伝えられ、対応策等についてしきりにテレビ等で啓発活動が行われている。大震災当時旧東京市内に居住していた両親が、生前関東大震災で体験した恐怖感を度々話してくれ、体験上事前に避難の準備をしておくようにと話していたので、その必要性は承知している。しかし、今もこれという「いざ! 鎌倉!」に備えた準備はせいぜい飲料水を蓄えている程度である。それ以外に格別なことをしているわけではない。我が家が道路より3mほど高い敷地にあることも油断させている原因である。

 30年以内に首都圏直下型地震がやってくる確率が70%もあるという。さあ!どうする?

2023年9月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com