5847.2023年8月25日(金) 大学ゼミの先輩と辛く悲しい別れ

 去る18日に大学ゼミの先輩が亡くなられた。近年糖尿病の治療に大分ご苦労されておられたが、直接の死因は誤嚥性肺炎だった。先輩は、大学卒業後そのまま大学院へ進まれ、飯田鼎教授のゼミの下でサブゼミを持たれ、我々を指導してくれた。その後JETROに入られ海外駐在も経験された。JETROを退職されてからは、ゼミの先輩として恩師飯田教授や、同期生の小松教授とともに、OB及び学生とともに勉学と同時にプライベートな交流を深め、ゼミは我々にとってアカデミックな場であり、同時に憩いの場でもあった。

 その先輩とはコロナ渦と体調が悪かったせいもあり、この3年ほどお会いしていなかった。今日京王線幡ヶ谷駅近くの代々幡斎場で葬儀が行われ、ゼミでともにお世話になった後輩と出席した。先日奥様から葬儀と同時に初七日も行い、斎場で荼毘に付すとのご連絡をいただいた。こういう場で最後の対面をするのは辛いものだが、優しい死に顔を拝見し、ただご冥福をお祈りすることで長年の御交誼に感謝しお別れを告げた。

 脱線するが、先輩は一昨日甲子園で107年ぶりに全国制覇した慶応高校の出身である。私が受験に失敗して入学が2年遅れたために私は後輩となったが、高校は別だが、同学年だった。高校3年生だった1956(昭和31)年夏の高校野球神奈川県予選で我が母校・湘南高校が準決勝で慶応高校に2-0で敗れ、慶応は決勝戦も勝ち甲子園へ出場した。残念ながら甲子園では初戦で仙台二高に敗れた。ところが、縁は異なもの味なものと言われるように、この夏の大会で全国制覇したのが、何と京都・平安中学時代に短期間だったが在学していた当時の同級生らが活躍した平安高校(現竜谷大平安高)だった。優勝旗を持って場内を行進する同級生らを観て、感慨無量だった。校歌もテレビの前で声を張り上げて歌ったことを思い出す。
 亡くなった先輩らとは卒業後も一緒に集まって食事をしたり、旅行をしたり楽しかった情景が思い出される。年々こうして親しい人が、ひとり去り、ふたり去って世の無情を感じる、と同時に寂しい思いに駆られることが増えてきた。こればかりは年齢を考えれば、ある面で止むを得ないのかも知れない。これからも折に触れて先輩を想い出すことがあるだろう。

 さて、昨日本ブログで取り上げたロシアの民間軍事会社の創設者プリゴジン代表が搭乗していた自家用ジェット機が墜落して、搭乗していた乗員10人がすべて死亡したと伝えられたが、プリゴジン氏の死が確認されていないこともあって、憶測や噂が広がるばかりだった。そこへウクライナ侵攻以来ちょうど1年半になった昨日、プーチン大統領が、公の場で初めて事故に言及し、墜落は悲劇であり犠牲者に哀悼の意を捧げると表明した。プーチン大統領は墜落原因の調査を開始すると述べたが、同時にプリゴジン氏を有能な人物だったが、重大な過ちを犯したとも述べた。プリゴジン氏は憶測されるように自らに弓を引いた人物だけに、心中は穏やかならぬものがあったであろう。直ぐにも、逮捕、そして処刑と見られたが、一度はアフリカで仕事をさせて世界にプリゴジン氏を信頼しているフリをしながら、意図的とも思えないような術を使い、憎きプリゴジンを処分したのだろう。

 プーチン大統領の人非人ぶりは脅威であり、ロシアとは空恐ろしい国である。



 

2023年8月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com