5836.2023年8月14日(月) 気骨ある外交官だった佐藤尚武元参議院議長

 このところ終戦記念日が近づいたせいか、太平洋戦争関連のドキュメント・ストーリーの放映が目につく。去る9日、NHK「昭和の選択」が「平和を手放した日~幣原喜重郎国際協調外交の誤算」と題して歴史家らのトークと映像を映していた。幣原と言えば、戦前から外交官、そして外務大臣として国内外の難局に取り組んでいた。旧日本軍の満州、中国進駐につき、欧米から批判を受けながら懐柔策を政府に提案したが、国内では彼の意向は軍部に抑えられ提案は伝えられることなく外相を辞めざるを得なかった。戦後は総理大臣として、また衆議院議長として活躍された。

 実は、幣原喜重郎衆議院議長については、佐藤尚武参議院議長の名前と一緒に小学5年生の時、初めてその名を知った。偶々昨日の朝日朝刊「日曜に想う」で曽我豪・編集委員が、「78年前の夏の異議申し立て」と題した論説の中て、その佐藤参議院議長の筋を通す誠実さ、及び気骨ある性格と戦前、戦後の良識ある言動を高く評価している。佐藤も幣原同様に外交官出身で、終戦の年にソ連駐在大使を務めていた時、ソ連が終戦直前、特にドイツの降伏後には原爆投下で疲弊していた日本へ侵略し、日本領の一部を手にいれるべく動いていたことを察知していた。その最中の1945年8月8日、佐藤はソ連外相から対日宣戦布告を受けたという。

 曽我氏が特に佐藤を評価しているのは、毅然として自らの考えを貫き、職業、立場などによこしまな気持ちを抱かなかったことである。例えば、終戦の1か月前東郷茂徳外相からソ連に和平の仲介を頼めとの指示を受けたことに対して、異議を申し立てた。和平の条件として「皇室の維持」があったからである。佐藤は、「すでに抗戦力を失いたる将兵およびわが国民が全部戦死を遂げたりとも、ために国家は救わるべくもあらず。七千万の民草枯れて上ご一人ご安泰なるをうべきや」と皇室維持の一点だけを主張する上司東郷外相に異議を唱える長文の電報を打った。政府の所信に反するのを知りつつ、敢えて反論する罪の深さを自認していながら、言わずにはいられなかったのだろう。佐藤の正義感がそれを許さなかった。

 同時期にそれぞれ衆参議長を務めた幣原、佐藤に比べると、今日の節操のない議員、私利私欲で国会に議席を置いているだけの政治家は、政治家として、また人間的にあまりにもレベルが低い。その点で今日の国会議員は気楽である。競馬の馬主として必要経費として風力発電会社社長から6千万円を収賄したり、女性議員研修旅行と称しつつパリで観光気分に浸ったり、住民の反対を無視して賭博場建設に熱中したり、こういう議員はモラル以前に議員失格、人間失格である。

 小学生の時、初めて知った衆参両院議長の名前だったが、その後もその名も覚えている2人の素晴らしい高潔な性格の政治家を改めて知り、爽快な気分である。因みに佐藤尚武の墓地は、都立谷中霊園内にあり、この夏の暑さの中で大樹の陰はないという。「洋服を着た武士」佐藤尚武は昭和46年12月18日この世を去った。享年89歳だった。

2023年8月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com