5828.2023年8月6日(日) 広島原爆記念日、核廃絶は遅々として進まず。

 今朝の朝日新聞に「第九条の会ヒロシマ」が全面意見広告を掲出した。その意見広告では、こういうことを主張している。少々長いが、以下に引用してみたい。

 「1945年8月6日8時15分 米軍は広島に原子爆弾を投下。43秒後、上空600mで爆発。それは1000000℃超えの火球となり、熱線を放射して約10秒間輝き続けた。爆心地は約3000℃~4000℃。発生した衝撃波の気圧は爆心地から500m地点で11t/㎡。秒速の爆風は中心部の空気をさらい、のちに逆方向に吹き戻された。爆心地から2.5㎞地点の物体にまで自然着火した炎は午前10時頃から午後2~3時頃を頂点に、終日、天を焦がす勢いで燃え続けた」。原爆の衝撃が如何に激しいものだったか、想像するより仕方がない。

 78年前の今日午前8時15分に広島へ世界で初めて原子爆弾が投下され、市内には一瞬にして破壊と狂乱の地獄が襲った。一発の爆弾によって広島市民35万人のうち、14万人が瞬時に亡くなった。この1年間に命を落とした人は5,320人で、これまでに原爆関連死者は約34万人に上がる。戦後の日本経済の発展もあり、広島市民をはじめ、国民の努力により原爆投下の市街は表面上蘇ったように見えるが、心の傷跡は消えるものではない。

 今朝広島市内の平和記念公園で開かれた平和記念式典では、ピカドンの時間に合わせて弔魂の鐘が鳴らされ出席者が黙とうを捧げた。式典には海外から過去最多の111か国の代表が出席した。

 地元広島出身の岸田首相の挨拶は、そつなく2度と悲劇を繰り返さないために、平和のために努力すると誓っていたが、過去の首相挨拶は皆揃って同じ文言を繰り返している。しかし、永遠に誓った筈の核廃絶の動きは一向に前進していない。今から半世紀余も前に国会で決議した「非核3原則」で核の被害を被ることはないと安易に考える政治家が、アメリカの核の傘の下で守られているとの妄想に捉われ、アメリカに気を遣い積極的に核廃絶への行動を起こそうとしないからだ。

 一方、松井一實・広島市長は最初の平和宣言で「核抑止論は破綻していることを直視する必要がある」と強調した。そして「各国の為政者には核による威嚇を直ちに停止し、安全保障体制の構築へ一歩踏み出すよう」求めた。現在のウクライナの戦況を考えると、ロシアはウクライナが一歩でもロシア領内を攻撃すれば、核の使用も辞さないと威嚇的な発言をしている。他方、現在の岸田政権の外交戦略から考えれば、日本は日米同盟を重視するあまりアメリカに協調的な行動を取ることしか考えていないようで、残念ながら広島県民や多くの国民の望みは当面期待薄であると思う。

 こうした平和を願う国家的行事が厳粛に行われている一方で、今日甲子園球場では晴天下に夏の全国高校野球大会開会式が行われ大会が始まった。若々しい高校生がグランドを元気よく行進し、スタンドから大きな拍手が起きる光景は、実に平和そのものである。このように何の不安もなくスポーツを楽しめるというのが平和の有難いところである。ちょうど70年前の1953年の中学3年時に開会式を甲子園のネット裏から見ていたものだ。あのころは広島の惨状について詳しくは知らず、目の前の野球に夢中だった。あの時代が懐かしい。

2023年8月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com