5822.2023年7月31日(月) 間もなく炎暑の甲子園大会が始まる。

 連日の猛暑に熱中症で倒れる人も多く、病院はもちろん救急車の出動も予想を超えるほどでいずこも暑さにはお手上げの状態である。国も用事のない人は外出を控えるようにと警告を発している有様である。

 暑い盛りというと間もなく夏の全国高校野球大会がやって来る。昨日の東東京、及び大阪代表校の決定を以て全出場校49校が決定した。主催者もこの暑さを警戒して試合開始時間を早めたり、途中で水分補給をするため休憩を取ったり、大分気を遣っていた。そして決定した49校を見てみると、公立校は僅かに9校で残りは全て私立校、特に常連校や大学付属校が顔を揃えている。この傾向は年々強まり、いずれ野球部のある私立校が1校しかない徳島県を除いて公立校は甲子園から消えていくだろう。6日に迎える開会式に向けてフィーバーは加速していくことだろう。
 この暑さ対策も兼ねて甲子園では、ネット裏と内野席の上にある日除け用の銀傘をアルプス席上まで広げる計画のようだ。かつてはアルプス上にも銀傘があったが、戦時中の金属供出により銀傘を軍へ提供してから今日までずっと熱いアルプス席と呼ばれている。2027年から工事にかかるそうなので、完成した時に果たして見ることが出来るだろうか。あの炎天下の甲子園には、1953年京都に住んでいた中学生当時、開会式から通い詰めた思い出がある。優勝校は空谷投手を擁した松山商だったが、甲子園で活躍しその後中日ドラゴンズのエースとして活躍した中山俊丈(中京商)、西鉄へ投手として入団しながら二塁手として活躍し、近鉄やオリックスの監督を務めた仰木彬(東筑高)、長嶋らと立教大黄金時代を築いた本屋敷錦吾(芦屋高)選手らを目の当たりにしたことが昨日のことのようである。その後小学生だった息子たちを連れて甲子園には何度か通った。あの頃は青空の下で確かに暑かったが、熱中症などで倒れる人もあまりいなかったように思う。甲子園は野球好きだった私にとっては懐かしい所である。
 さて、今朝の新聞によるとアメリカの首都ワシントンにあるスミソニアン博物館内にこれまで展示されなかった広島と長崎の原爆投下の資料が展示されることになったという。ワシントンを訪れる都度、同館を見学した。特に教員海外派遣団にお供した時は、決まって見学したものである。ところがここには原爆に関する資料は一切展示していなかった。日本とは異なり加害者のアメリカにとっては、敵国日本に世界でも唯一の残酷な原爆投下をした事実を公開することに抵抗があったからである。ほとんどのアメリカ人にあれほど残虐な行為だった原爆投下について罪の意識がなかったのである。むしろ退役軍人団体などは原爆投下の正当性を主張する声が強かった。彼らの言い分は、原爆投下により終戦が早められ、それ以上の犠牲者を生むことが避けられたからという至極都合の好い主張だった。原爆により多くの罪もない人々を殺害したことには謝罪や後悔の気持ちがまるでないのだ。この姿勢は世界の核反対の動きに反するものだとの考えから50年目に当たる1995年にスミソニアン博物館は、原爆投下したエノラ・ゲイと、広島・長崎の被爆資料を展示する企画を発表したが、根強い反対論が出て中止に追い込まれた。

 しかし、年の経過とともに次第に原爆投下肯定者の割合は減少し、新規核開発に反対を唱えるアメリカとしてもこの趨勢を軽視出来なくなった。原爆投下を肯定した人は終戦時には85%だったが、2015年には56%にまで減り、特に18~29歳の人々は47%だった。広島と長崎の人々に自分たちアメリカ人が与えた惨状と悲劇をもう無視することは出来なくなったということだ。展示されたら訪れて見てみたいものである。

2023年7月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com