5809.2023年7月17日(月) 中国国歌作曲家とN響チェリスト

 今日は3連休の最終日である。北陸、東北地方、特に秋田県では豪雨により雄物川が氾濫し、家屋への床上浸水など大きな被害が出ている。太平洋沿岸は幸いにして大雨はないが、反面猛暑が押し寄せ、各地で熱中症対策に大わらわのようである。東京都内の最高気温は36.2℃で、世田谷区でも35℃の猛暑日となった。明日も暑さは一層増しそうで、環境省と気象庁は早々に東京、愛知、大阪など21都府県に対して熱中症警戒アラートを発表した。

 そんなわけで、毎日夕方陽が落ちる6時過ぎに出かけるウォーキングも、昨日は大分汗をかきシャツも大分湿ったので、反って身体に良くないと考え、今日は蒸し暑さを考えて日課であるウォーキングを中止することにした。

 今日この暑い「海の日」にテレビは各地の海水浴の様子を映していた。しばしば紹介される江の島の片瀬東浜海岸の浜辺では、大勢の海水浴客が真っ青な空の下で存分に楽しんでいる様子が観られ懐かしく想った。東浜海岸から江の島へ渡る橋をまたいで西浜から鵠沼海岸では、高校生のころは夏休みに入るとほとんど連日のように泳いでいた。そして鵠沼海岸から茅ヶ崎方面へ向かった外れに小さな公園らしき広場に聶耳(ニエアル)記念碑が立っている。あまり人が立ち寄るような場所でもないので、地元の友人の中でもこの存在を知っている人はそう多くはないようだ。地味な石碑であるが、その揮毫は、著名な政治家であり、歴史学者でもあった郭沫若によって「聶耳終焉の地」と書かれている。この聶耳こそ現在の中国国歌「義勇軍行進曲」を戦前に作曲した英才だった。僅か23歳の若さで私が生まれる前の1935年にこの鵠沼海岸で遊泳中に溺れ死んだ。聶耳の出身地・昆明市と藤沢市は、葉山峻・元藤沢市長が在任当時の1981年に友好都市の協定を提携して以来今日に及んでいる。今でも藤沢市消防団音楽隊は、この中国国歌を定期的に演奏することがあるらしい。

 さて、昨晩NHKの「クラシック音楽館」で、5月に開催されたNHK交響楽団定期公演会が放映された。昨年からN響常任指揮者に就任したイタリア人のファビオ・ルイージ指揮の下に、私の最も好きなクラシック曲、ベートーベンの交響曲第6番♪田園♪を演奏してくれ、久しぶりに40分間じっくりこの名曲を聞き入ることが出来た。

 意外だったのは、この演奏会をテレビで観ていてオーケストラの中にチェリストの藤森亮一氏の姿を目にしたことである。実は、9年前に京都市立上桂中学校(現桂中学校)の卒業60周年同窓会が京都市内のホテルで開かれ、出席した折に女子同級生から子息がN響でチェロを弾いているとその名前を聞いた。早速現在アマチュア・オーケストラでチェリストとして活動している大学ゼミの友人に尋ねてみたところ、藤森氏はN響で首席チェリストとして活躍していると聞き、以後N響の演奏の都度気にかけていた。しかし、いつごろからかオーケストラからその姿が見えなくなった。多分定年とか、個人的な事情などでN響から身を退いたのではないかと思っていた。ところが現在複数の音楽大学で教授として学生を指導しながら、再びN響で首席チェリストとして活躍しているようだ。昨晩久しぶりに首席チェリストとして演奏をしているその姿を観ることが出来た。まだ60歳だそうだから、これからも藤森チェリストの名演奏を聴けるのではないかと期待している。

2023年7月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com