GWも後半に入ったが、天候は暖かさを通り越して暑い感じすらある。今日の東京都内の最高気温は25.6℃だったので、もう夏日である。横浜に住む次男家族と自由が丘で食事をしたが、5人の孫たちの中で最年少の小学4年生の孫娘の背丈が、しばらく会わない間に随分高くなって140㎝だと聞いて正直驚いている。尤も今日はラグビーの試合があるからと言って来なかった上の男の子は、中学1年生に進学したばかりだが、すでに170㎝を越えているので、祖父の私や父親を追い越してしまっている。2人の孫は、素直な性格で健康なので、このまま横道に逸れず生地のまま逞しく成長して欲しいと願っている。
さて、今日は「子どもの日」で国民の祝日である。国民の祝日に関する法律の第2条に「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日と定められている。この日から1週間は、「児童福祉週間」とされ、この1週間は、子どもの健やかな成長、子どもや家庭を取り巻く環境について、国民全体で考えることを目的に、児童福祉の理念の普及・啓発のための行事が行われることになっている。翻って自分自身の子ども時代を思うと、昭和14年の初節句の折に、床の間の兜と鯉のぼりの五月人形をひな壇に飾ってそのひな壇の前でソファーに座らせられた生後半年の写真が、時代を思わせる。その写真は恥ずかしながらHP上に載せている。
この国民の祝日を定めた法律は昭和23年に制定されたものだが、それ以前は「端午の節句」の日として、子ども全般ではなく男の子のためのお祝いの日だった。その後戦後になって男の子と女の子の垣根は取り払われ、子ども全般に対する国の支援は、少子化ということもあり、年々手厚くなっている。
今内戦中のスーダンや、タリバンが政権に復帰して露骨な女性蔑視社会となったアフガニスタンでは、子どもに対する放置、虐待も目に余る。とても「子どもの日」法案と同じ考えの欠片も見られない。その点では日本では漸く欧米並みに子どもの人権に対してリスペクトする空気が社会に漂ってきている。
問題は、子どもたちに手厚い保護をして行き届いた教育を行うのは当然であるが、それを子どもたち自身が、当たり前と思い、つい甘え過ぎるようなことになると、折角そこまで育てた父母の愛情の他に、金銭的な支援を提供してきた国や社会に対して厳しく言えば裏切ったことにもなりかねない。愛情深く育てるのは良いが、指導の方法を間違えると逆効果になる。その典型を世襲政治家たちの行動の中に読み取れることがしばしばある。
ついては、Google Search Consoleとして毎月Googleが、私の HPへのアクセス分析を知らせてくれるのだが、4月分が一昨日送られてきた。その中でアクセスが多かったのは、昨年8月16日にブログに書いた「つまらない新聞連載小説」で、これは過去に2度ばかり挙がったもので、その都度コメントした。新たにアクセスが多かったのは、2003年ギリシャ政府観光局長賞に入賞した拙稿「フィロクセノス」というエッセイだった。その時の審査委員長は阿刀田高・元日本ペンクラブ会長で、その後私がペンクラブへ入会するようになったのは、小中陽太郎氏にその阿刀田氏をご紹介いただき、お二方のご推薦をいただいたからである。このGoogleの視点と分析には中々興味深いものがある。