去る17日和歌山市内で選挙応援のための街頭演説を行う直前に岸田首相へ向けて爆発物を投げ、逮捕された容疑者の事前の行動が何かと話題になっている。自宅のある兵庫県川西市市議会議員選に立候補しようとしたが、被選挙権がないことと立候補のための供託金を都合出来ず、誰でも同じ権利であるべき被選挙権や、資金の有無などで差別された公職選挙法の規定を巡って国家賠償請求訴訟を起こした。中でも昨年の参議院選では年齢30歳に満たないために立候補できずに、精神的苦痛を受けたとして国に10万円の損害賠償を求めて神戸地裁に提訴した。
ところが、容疑者の行動に対してネット上にある有識者が納得して、公職選挙法を見直すべきだとの考えを語っているのには些か驚いた。容疑者の主張を認めるなら、被選挙権の年齢制限を撤廃すべきであるということになり、同時に立候補により候補者の活動にお金がかかることに目をつぶるということでもあり、これこそ公平公正をカムフラージュして無法を許すということになる。法律を作成し、市民にそれを公正に守らせることに水を注すような言動であると思う。容疑者が、地裁に提出した書面には、安倍元首相銃撃事件で元首相は亡くなったが、世論の反対が多くありながら元首相の国葬を実施したことは、民主主義への挑戦であると批判していた。同時に旧統一教会のようなカルト団体と癒着したことと、国会議員が世襲により限られた一部の政治家に恩恵をもたらしているとしてこれらにも厳しく批判した。
24歳の若者が普段社会人として働いた経験がなく、身勝手な意見を述べることは彼に言わせれば個人の自由と言いたいところだが、その前提として肝心な社会人としての責任を果たしているとは言えないと思う。
ただ、現実を鋭い目で見ていることはある面で評価出来る。例えば、安倍元首相は旧統一教会との関係、特に選挙における支援などは、安倍家3代に亘り続けられたようで、真っ当な意見が旧統一教会を支援したことにより、かなり歪められたと言える。更に言うなら、世襲国会議員の跋扈である。世襲議員とは、「父母、義父母、祖父母のいずれかが国会議員、または3親等内の親族に国会議員がいて、同一選挙区から出馬した候補」と一応定義づけられている。日本の世襲国会議員は各国の中でも飛びぬけて多い。2021年に実施された衆議院選挙では、全衆院議員465人の内131人の世襲議員が当選した。小選挙区制が導入されて以降12名の首相の内、菅義偉、野田佳彦、菅直人の3人を除く残り9人はいずれも世襲議員である。現在の岸田内閣の閣僚20名の内、岸田首相を含む12名が世襲である。これほど多くの世襲議員が国の政治を操っていのだ。民主主義に悖る行為として非難されている容疑者の言い分の内、旧統一教会との関係と世襲議員の跋扈を批判したことだけは納得できる。