5706.2023年4月5日(水) 自転車のヘルメット着用義務は?

 4月1日から改正道路交通法の施行により自転車に乗る際は、ヘルメット着用が努力義務とされた。随分強制力のない緩い法律だなと思っていたが、実際に1日以降着用している人はほとんど見かけなかった。そこで今日近所をウォーキングしながらヘルメットを着用している人がどのくらいいるかチェックしてみた。自転車に乗っている人と行き違ったのは、40分間に12人だったが、そのうち何とたったひとりの成人男性しかヘルメットを着用していなかった。他の人はほとんどが家庭の主婦らしく、子どもを乗せている人が多かった。一番転びそうな人がヘルメットを着用していなかったのだ。主婦らは、近くの住宅地を走っているだけで、髪が崩れることも懸念してつい横着を決めているように思える。

 そんな時にネット・ニュースでタレントの滝川クリステルさんが昨日子どもを乗せて自転車で走行中に転倒し、目元の眉の脇を傷つけ10数針縫った顔写真まで披露して、転倒には気を付けてほしいということと、ヘルメットを着用して欲しいと訴えていた。幸い車道ではなかったために大きなケガを負うことはなかったが、子どもが乗っている時の電動自転車は怖いと語っていた。

 一般的に着用しない理由に挙げられるのは、「恥ずかしい」からである。その他には「着けづらい」や、「ヘルメットの置き場所がない」からである。自転車利用者の事故が多く、それも頭部を打撲して致命傷が多いことからヘルメット着用を義務化したのは賢明だったと思う。しかし、そこには上記のように困惑する利用者が多いことから、一気に着用の義務化へ進む前にもう少し検討して着用し易い配慮が必要だったのではないかと思う。あまりにも短兵急だったような印象が強い。まだ当分の間ヘルメットを着用せずに自転車で走行する人は減らないのではないだろうか。

 さて、昨日の朝日夕刊に木村伊兵衛写真賞を受賞された写真家新田樹氏の作品が紹介されていた。写真集「Sakhanlin(サハリン)」である。新田氏は1996年初めてサハリンを訪れた。夕刊に現地在住の朝鮮人の写真が2枚載っている。州都ユジノサハリンスクに住む金公珠さんとロシア人と朝鮮人の両親のもとに生まれた李富子さんという旧日本人である。私はその4年前の92年にサハリンを訪れ、やはり現地の道端で日本名を「福原」という朝鮮人のおばあさん金さんに偶々出会った。日本への郷愁と若干恨みがましいことを言っていた広島県出身の金さんは、久しぶりに私と日本語を話せたといいながら鉄砲玉のようにしゃべくった。そのエピソードについては拙著「八十冒険爺の言いたい放題」に紹介したところだ。金さんと同じように2人の朝鮮人の内、日本語を話す金公珠さんは2014年に、李富子さんは21年に他界されたという。新田氏はその後にもサハリンを訪れたが、今ではロシアのウクライナ侵攻の影響もあり現地を訪れることが出来ないという。李さんが新田氏に歌ってくれた「蛍の光」の後半部が♪~台湾のはても 樺太も 八洲のうちの 守りなり♪だったそうだが、戦後進駐軍の命令により歌われなくなった「蛍の光」4番にはこう書かれていた。♪千島の奥も 沖縄も 八洲の内の 護りなり 至らん国に いさおしく 努めよ我が兄 恙無く♪ 軍国日本を象徴するような歌詞である。

 樺太は戦前日本のために大いに尽くしたということを言いたかったのだろう。彼らの立場を慮れば泣かせる話である。

2023年4月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com