昨夕奈良に住む長男家の孫たち3人がやってきた。3人とも大学生で、初孫になる男子が4月から社会人になるので、妹たちと最後の春休みをのんびり過ごしたいと我々祖父母宅に滞在しに来たものだ。今朝早々にディズニーランドを楽しみたいと3人は揃って出かけた。その折初孫が、今朝のニュースでロシアとアメリカの航空機が衝突したことを知ったと言うので、これはドえらいことになるぞと気にかけていたところ、黒海の上空でアメリカのドローン機が、ロシアの戦闘機と衝突して墜落したことが分かった。ロシア側は、ロシア機は直接接触はなかったと説明したという。双方に死者は出なかったし、それほどの大事ではなかったようなのでホッとした。ところが、米ロ両国は、互いに相手の無謀を攻め対立してまったく嚙み合わない。国際上空域内のことであるが、いま黒海周辺はクリミア半島をロシアが一方的に併合して以来緊張感に包まれている。しかし、このような事件が今後も起こる可能性があり、正に一触即発状態になってきた。それが大事に至らなければ好いのだがと今後の動向が懸念される。
さて、昨日作家・大江健三郎氏の訃報について書いたが、今日は子供のころに憧れたスポーツマンのひとりが亡くなったと朝日朝刊死亡欄に載っていた。戦後日本の水泳界を「フジヤマのトビウオ」古橋広之進とともに引っ張って行った橋爪四郎氏である。戦後疎開していた千葉県勝山町(現鋸南町)の小学生時代にラジオ中継放送を聴いていたが、全米選手権に出場した日本選手が活躍し、中でも古橋、橋爪2人の活躍は目覚ましかった。古橋は1着、橋爪は2着になったが、その記録は出場した400m、1500m自由形ともにその数か月前に開催されたロンドン・オリンピックの優勝タイム、及び当時の世界記録を上回るものだった。
日本がオリンピック参加を認められた1952年ヘルシンキ大会では、日本水泳陣は大いにその活躍を期待されたが、すでに全盛期を過ぎていた古橋は、400m自由形で8位だった。その一方、橋爪は1500m自由形でフォード・コンノに次いで銀メダルを獲得した。古橋が敗れてプールから立ち去る姿に寂しさが漂いNHKアナが涙を流しながら古橋を責めないで下さいと放送した実況シーンが強く印象に残っている。古橋はその後日本水泳連盟会長や、JOC会長などの要職を歴任したが、2009年8月世界選手権中に開催地ローマで亡くなり、橋爪は「~ヒロさんとともに競技できたことを誇りに思う~」と哀悼を込めたコメントを述べた。奇縁なことに不幸が連鎖するのか、橋爪の実兄(玉置正和・元千代田化工建設社長)も今月2日に亡くなったばかりである。
我々が子どものころは娯楽が少なくテレビなんてなかったせいもあり、ラジオだけを頼りに人気スポーツや、そのスター選手に憧れて中継放送を聴きながら胸をワクワクさせていた。野球なら川上、大下選手、相撲なら羽黒山、千代の山、水泳なら古橋選手に橋爪選手らである。今の時代の子どもたちはどうだろうか。なんでも不自由で思うように希望を満たせない、そんな時代だったからこそ、今以て橋爪選手への応援と思いは尽きない。橋爪選手は享年94歳だった。心よりご冥福をお祈りしたい。