2月26日と言えば、昭和11(1936)年に言わずと知れた「2.26事件」が起きた日である。あれからもう87年が経つ。次第に軍国色が強まってきた準戦時体制下において、陸軍参謀部に不満を持った青年将校らが起こした一種のクーデターである。事件後いくつかの反省点が出され同じような事件の発生を防止するため法整備も行われたが、時とともに次第に忘れられていく。それは現代においても数年前からこの事件についてメディアの報道が一切行われていないことからも明らかである。ということは、あの時代に戻りつつあるということをも暗示していると言える。
今日都内で開かれた自民党大会で岸田首相は、「時代は憲法の早期改正を求めている」と述べ、憲法改正へ強い意欲を示したという。すでに違憲的行為が多い自民党政権下では、改憲へどういう道筋をつけるかが当面の課題であり、極力改憲への動きを強めたいとの気持ちが溢れている。自民党内には、改憲への動きはかなり前から強まっていた。2019年当時の自民党二階幹事長が、地元和歌山市内のホテルで行った憲法集会には、雨の降る夜にもかかわらず、1,000人もの県民が集まり「自衛隊の明記 憲法改正」とアピールしたという。そこへ今は亡き当時の安倍晋三首相の改憲に向け行動するとのビデオ・メッセージが映し出された。超保守派の安倍氏が改憲を打ち出すのは、いつものことであるが、このころ政調会長を務めていた岸田現首相も憲法をテーマとする政調会を全国各地で開いていた。岸田首相の今日の発言は、今に始まったことではない。
ロシアのウクライナ侵略戦争の悲惨さが報じられる度に、早く停戦にならないかとの願いが強くなるばかりである。戦争体験がなく、戦争の真の恐ろしさを知らない岸田首相は、国防予算を増額し、アメリカの要望に沿って軍事態勢を固め、敵基地への攻撃も辞さないと戦争へ前向き姿勢である。こんな気持ちを憲法改正に入れ込まれては、憲法は戦争のための法律になりかねない。恐ろしいことである。
そんな時に一昨日元毎日新聞記者だった西山太吉氏が、北九州市内で亡くなられたと報道された。西山記者と言えば、忘れもしない沖縄返還に関わる日米密約文書を入手して公開した事件である。西山氏の論旨は実物を入手しているので、説得力があったが、入手のルートが外務省女性事務官からの機密文書遺漏というスキャンダルと見做され、焦点は密約自体より女性へのそそのかしと受け取られて報道され、論点がずらされてしまった。今から20年近く前に、有楽町で西山氏の講演を受講したことがあるが、右手のこぶしで左の手のひらを叩きながら悲憤慷慨して話していた熱っぽい姿を想い出す。今ではあのような真っ当な正義派ジャーナリストは少なくなった。西山氏は今の岸田内閣の改憲や、対米追従をどう思っていただろうか。きっとこぶしを振り回していたかもしれない。享年91歳だった。心よりご冥福をお祈りしたい。合掌