今日は天皇陛下63歳の誕生日である。一般参賀は、新型コロナウィルスの影響から天皇即位後初めて行われた。昨年の今日のブログにも書き込んだが、大学2学年当時大学の山仲間とスキー・ツアーで新鹿沢温泉へ向かっていた時、仲間のひとりがラジオから当時の皇太子誕生のニュースを聞いた。あれから63年が経過したということになる。今や世界には皇室、王室が存在する国は少なくなった。その中でも最近はイギリスの王室内のトラブルが話題になって国民から広く敬愛される王室は減りつつある。その点では、日本の皇室は大きな問題もなく、国民からの信頼は強いものと思われる。宮内庁では今後広報活動を充実させ、皇室のありのままを国民にアピールし、更に信頼を勝ち得るよう努める意向のようである。
さて、意外なことを知った。戦時中「命のビザ」を発行して大勢のユダヤ人を救ったリトアニア・カウナスの日本領事代理だった杉原千畝の行動は、ユダヤ人の母国イスラエルばかりでなく、世界中で人間愛の気持ちを抱く多くの人々に称賛されている。私も6年前に当地を訪れて杉原が勤務した領事館をはじめ、いくつかの関連施設を見学した。意外だったのは、杉原はユダヤ人に日本の通過ビザを発行したが、彼らの身分証明書上に同時に目的地のビザも並んで押印されていたことだった。これは杉原と同様に当時リトアニアに駐在していたズワルデンダイク・オランダ領事に依って発行されたものである。確かに目的地のビザがなければ、杉原が発給した通過ビザの効力も疑問である。そしてその目的地とは、カリブ海に浮かぶオランダ領のキュラソー島だった。ベネズエラまで60㎞ほどの小さな島である。
ユダヤ人にとって幸運だったのは、ユダヤ人にとってはナチに侵略されて反ユダヤの空気が漲り厳しかったであろうヨーロッパにあってオランダはやや友好的だった。このような人間愛に溢れた外交官がリトアニアに2人もいて、ともに彼らの旅行に便宜を図ってくれた。オランダ領事による目的地ビザ発給の協力がなければ、杉原のビザ発給も意味を持たない可能性もあった。実際ユダヤ人たちは、必ずしもキュラソー島を最終目的としたわけではなく、途中でアメリカやその他の国へ入国した人が多かったと見られている。その意味で2人の外交官の連携があったからこそ、数千人と言われるユダヤ人の命も救われたと言えよう。キュラソー島は、今もオランダ王国の構成国で、当時はオランダ人総督の許可さえあれば、容易に入国出来たという。
それにしても、これまで日本国内では杉原による緊急ビザ発給ばかりが伝えられ、隠れた協力者だったオランダ領事についてはほとんど知らされなかったが、事実は、2人の緊密な連携プレイにより多くのユダヤ人の命が救われたということに、新たな感動を覚えた。