早いもので阪神・淡路大震災発生から28年を迎えた。神戸市では、地震が起きた午前5時46分に6,434人の犠牲者を追悼する行事が行われた。その時私は自宅で就寝中だったのでまったく知らず、朝のTVニュースを観てあまりの惨状に驚いたものである。しかし、しばらくして当時親しくしていたブラジルの友人から思いがけず国際電話があり、当地のテレビで日本の大地震のニュースを知ったばかりだが、私の親戚や友人に犠牲者や不明者はいないかと心配して、わざわざ地球の裏側から電話をかけてきてくれたことが強く印象に残っている。震源地周辺には、親しい知り合いはいないので、安心して欲しいと応えたところ、それを聞いて安心したと電話を切った。離れていようと外国人であろうと、親しい人の身内に不幸が降りかかることを心配してくれた外国人の友人の優しさにいたく感動したものである。初めてブラジルを訪れた時、リオでブラジル名物のシュラスコ料理をご馳走になったことを今でも懐かしく想い出す。
寂しいことに2015年ごろその友人、アリンド・フルタードさんは他界してしまった。アリンドさんについては、拙著「八十冒険爺の言いたい放題」に1項を割いて彼との交流を紹介した。お互いにアフリカを旅行中に偶々カイロで知り合い、それ以来ほぼ半世紀近くに亘る交流だった。その後彼が日本へやって来た時、日光と箱根を案内し、我が家へも訪ねてくれた。私もその後2度ばかりリオの彼の自宅を訪れたことがある。親しい外国人の中でもとりわけ印象に残っている友人である。
それにつけても地震というのは、いつ、どこで何が起きるか分からない。これまで海外へはしばしば出かけているので、海外でも地震に遭遇することがある。シアトル、ロンドンではホテル滞在中の真夜中に突然建物が大きく揺れ、急いでホテルの外へ逃げ出したことがある。そのほかに最も激しい揺れは、「トロイの木馬」を訪れたいと、1999年8月17日午前3時にトルコのチャナッカレに泊まっていた時に遭遇したM7.6 のイズミット地震に遭い慌てたことである。就寝中だったが、あまりの揺れと物音に目が覚め、急いでホテルの階段をロビーまでかけ降りたことを想い出す。この地震の犠牲者は1万7千名と言われているが、実際には行方不明者を併せて4万5千名が犠牲となった20世紀最後の大地震だった。幸いにして大地震を実感したことにより初めて知った事象も数多くある。
よく災害に備えて普段からそれなりの身の回りに緊急用品の備えと同時に心の準備をしておくようにと啓蒙されるが、シアトルで地震に襲われた時、案外忘れがちなことがあると気づいた。それは、貴重品を素早く手に非常階段から歩いて地上まで降って、ふと足元を見たら上着類と靴は履いていたが、ソックスを履いていなかったことに初めて気が付いたことである。また、非常階段を下る人たちを下から見ていると非常事態なのに大きなトランクを持って降って来る人がいるために、狭い階段が詰まって避難する大勢の人々の群れが前進出来なかった光景である。その緊急の場に居合わせると周りの喧騒と異常な雰囲気につい平常心を失いがちになるものだ。
今年は、関東大震災が起きてからちょうど100年になる。地震の多い日本だが、今後30年以内に約70%の確率で、東京近辺に首都直下型地震が発生すると恐ろしい予測がある。また、東海から西南日本広域でも被害が懸念されているのが、「南海トラフ地震」である。少しでもその被害を最小化するためには、やはり普段から身の回りに緊急品を揃え、心の準備を整えておくしかないだろう。