5585.2022年12月5日(月) 幼児教育の原点と意味とは?

 このところ幼児教育の場で、無責任で教育者としていかがかと思うような、幼児への愛情が感じられない残酷な事件が頻発している。車の中に幼児を残したまま鍵をかけて、放置したために子どもが亡くなる痛ましい事件が連続して発覚した。7月に福岡県中間市の保育園の送迎バス内で園児が放置され、熱中症で亡くなった。10月には静岡県牧之原市の認定こども園で3歳児が送迎バス内で5時間も放置され、車内通路で倒れているところが発見されたが、すでに亡くなっていた。そこへ今度は、静岡県裾野市の私立保育園で幼児に対する3人の女性保育士による意図的な両足をもって逆さまに吊るすような虐待が明るみに出され、3人は暴行罪で逮捕され、今日市は園長を犯人隠蔽の疑いで刑事告訴した。この事件はいろいろ複雑な事情があり、別の保育士のひとりが園長に事実を伝えたが、口外することを禁じられ、それを市が知ることになったが、長らく市が黙認していたことまで分かっている。その過程で、園長が3人の保育士に絶対口外禁止の誓約書まで書かせていたというおまけまでついていた。遅ればせながら裾野市では、市長が自らに処分を課すとともに、担当部長を更迭する。今日偶々前記の牧之原市のケースでもバスを運転していた前理事長らを静岡県警は書類送検した。

 この件について、専門家や有識者が事象の発生を未然に防止するために、監視カメラを設置することを強く訴えていたが、そういう問題ではないと思う。幼児たちを見守る関係者に注意力と愛情さえあれば防止出来ることである。カメラより大人の目で愛情を持って、しっかりなすべきことを行って異変がないかチェックすることがより大切であると思う。例え監視カメラを設置しても丁寧にずっと監視し続ける気持ちがなければ、異変に気が付かないだろうし、むしろ愛情をもって細かく見守る気持ちが異変を気づかせてくれると思う。

 特に今日のエンタメ番組でリモート参加していた某国立大教授で、大学内の保育園園長が園内にカメラを設置してそのような事件が発生するのを未然に防いだと話しておられたが、これは子どもに対する愛情の籠った見守り方ではないと思う。どうして、人の目を信用せずに、機械にすべて頼ることになってしまったのか。

 かつてサラリーマン時代に旧文部省教員海外派遣団事業に20年間携わり、21回派遣団にお供したことがある。その中で特にアメリカの小学校の学校開門、閉校時の先生方の子どもたちに対する優しい対応を見て、これが幼児教育の原点だと感じたことがある。それは、児童が登校した時に、先生たちが校門近くで生徒たちを待ち構えて、彼らが姿を見せるや先生に駆け寄り、先生は両手を広く開けて胸に抱きかかえるのだ。先生と生徒たちの会いたかったという愛情あふれる気持ちが表れ、先生はよほど子どもたちが好きなのだと実感させられたものである。下校時も同じようなパフォーマンスが見られる。そこには、先生と生徒たちの愛情と離れがたい気持ちがよく表れていた。

 本来幼児教育とは、物事を教えることより先生に子どもが好きだという子どもたちへの愛情と、子どもたちには先生に対する信頼と思慕の気持ちがあって、それらがお互いに通い合っている幼児教育の場が成り立っているのだと考えている。物事をなんでもかんでもIT技術や、計算で済ませるのではなく、教育の原点には、愛情が一番大切だということを教育関係者は思い知るべきであると思う。

2022年12月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com