昼前に電話を受けた。意外にも文化の日に旭日大綬章を受賞された水落敏栄氏からだった。先日この受賞のお祝いに拙著「八十冒険爺の言いたい放題」に添えてお祝いの手紙を送ったことに対するお礼と、久しぶりに私と話をしてみたかったと言われた。直近の参議院選で落ちてしまったが、3期18年もの間参議院議員として活動されていた。昨年政界引退を語りながら今年3月後任不在のため、改めて立候補の決意を固めたが、準備の遅れや、日本遺族会会長として組織の少子高齢化もあり、希望は通らなかった。数年前文部科学副大臣だったころに、甲子園の開会式で始球式をされた直後に電話でお話したことがある。遺族会が中心となる旧厚生省主宰の太平洋戦争戦没者遺骨収集事業は私にとって在職中最も大きな仕事のひとつだったが、そのリーダーは常に水落氏だった。約20年間に亘りマリアナ諸島の遺骨収集団のお世話をさせてもらい、この地域を水落氏とも随分あちこち旅をして多くの思い出を作ることが出来た。
水落氏からもあのころは楽しかったと言ってもらい、近々会いましょうということで、来週はアメリカへ行くので、再来週にも会いましょうと九段会館内の遺族会事務所を訪ねることを約束した。以前に送った「南太平洋の剛腕投手」にミクロネシアの実情がよく書かれていたので随分参考になったとも言っていただいた。それこそ30年ぶりなので、お会いすることを今から楽しみにしている。
さて、政治家のお騒がせ事件が相次いでいるが、無責任な言動が原因のことが多い。今日は昨日までは現職に留まり最善を尽くすと語っていた葉梨康弘法務大臣が辞任することになった。法相は自民党内の会合で自分の職務を「死刑のハンコを押し、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職」と世間から顰蹙を買うような発言をした。それが騒がれるや、一昨日は誤解させたが、発言は撤回しないと語っていたが、昨日になって撤回すると述べ使命感と緊張感を持って取り組んでいくと辞任の気持ちはまったくない姿勢を示した。それが急転直下辞任し、陰では更迭と言われるようになったのは、山際大臣の辞任に次ぎ、人気・支持率が低落傾向にある岸田内閣としては、党内外から批判が集まり、何とか食い止めようと法相の辞任を認めることになった。岸田首相としても悪い流れを断ち切りたいとの気持ちがあったものと思われる。
それにしても葉梨法相の発言はあまりにも軽率だと思う。仮にも死刑囚とはいえ彼らの命を絶つ書類にハンコを押す行為を地味な仕事だと公言するとは呆れるばかりである。今朝の朝日「天声人語」にもイギリスの作家ジョージ・オーウェルが植民地ビルマの刑務所所員だった実体験に基づいた話として、処刑台に向かう死刑囚が、足元の水たまりを避けようと身体を脇によけることは、生きている人間にとって当たり前の日常の動きであると見て、「1つの生命を絶つことの深い意味、言葉では言いつくせない誤りに気がついた」とある。まもなく死地に赴く死刑囚ですら些細なことに神経をとがらせている。そんなことにはまったく気がつかない人は、大臣を辞めるだけではなく、国会議員も荷が重いのではないだろうか。