最近あまりお世話になった人や行為に対して感謝の気持ちを素直に表さないという話を、しばしば耳にする。特に若い人たちが、親切な扱いを受けても心に感じることもなく、当然のような態度を示すことが世の中をギスギスさせているのではないかと思っている。
昨日、妻からこんな話を聞いた。昨日友人に会うために駅へ向かって歩いていた時に、スーパーの前を通ったら小学3年生ぐらいの女の子が自転車を引きながら、大きな声を上げて泣きじゃくっていたという。人通りもある中で、このままでは心配だと案じた妻が、その子に「どうしたの?」と声をかけたら、母親とはぐれてしまったと言い涙が止まらないようだった。妻はそのまま見過ごすわけにもいかず、携帯を持っているなら、電話をしてみたらと尋ねてみたところ携帯を失くしてしまったという。「お母さんの携帯№を知っている?」と聞いたら知っているというので、妻のスマホで母親の携帯へかけてみたら、留守番電話だった。妻は携帯へメッセージを残して、しばらくお嬢ちゃんをなだめていたところ、妻のスマホが不意に鳴ったので出たらその子の母親からだった。妻が事情を話し、今ここで待っているから娘さんを引き取りに来て欲しいと居場所を伝えた。やがて母親が駆けつけてきて、娘に自分(母親)から離れないように随分言ったでしょうと言うだけだったという。妻がそれまでの事情を話すと「それはどうも」と言って、娘が世話になったとか、ありがとうございますの一言もなかったという。妻はそのまま2人と別れたというが、その話を聞いて妻より私の方がカチンときた。
これが今どきの若者気質というのだろうか、若い母親の態度には呆れてしまった。同時に、こんなことはあってはいけないと自らを戒める「人のなり見て我がふり直せ」を噛みしめている。
これは偶々身内が出会った「他人の気持ちがわからない思いやりのない人」の例だが、世間には同じようなことが山ほどある。気になるのは、以前はどこにもあった人の情が近年見られなくなったことである。
ついては、最近アメリカでツィッター社を紆余曲折の末に、総額440億㌦(約6兆4千億円)の巨額で買収した起業家イーロン・マスク氏が、買収直後に自らツィッター社最高経営責任者(CEO)に就任して実権を行使して、他の役員を全員解任した。その後、全世界のツィッター社全従業員7,500人の内、半数を一方的に解雇すると述べた。そのやり方も前代未聞のスケールで、思いやりの欠片もない。全社員宛てのメールで自宅待機を命じ、解雇対象者にはメールで通達するというものだったようだ。労使の話し合いなんてあったものじゃない。このような一方的で、社員の人権や立場を考慮せずにその場でバサッと首を切るとは、人情の片りんも見られない。これも最近の世相を反映しているようで、情けがなさ過ぎる。前段の妻の話とは異質であるが、今や世界は分断、争いが溢れるようになった。このような世情で人の情けや思いやりも消えていくのだろうか。実に辛く寂しいことである。