セルビアにいる友人・山崎洋さんが夫人ともども、13日に日本へ一時帰国され、10月末まで日本に滞在しているということで、親しいゼミの友人に声をかけ7人でランチをともにした。久しぶりに打ち解けた会話をして楽しいひと時を過ごすことが出来た。山崎さんとは毎年のように会っていたが、コロナ禍のせいで今日会ったのは、実に3年ぶりである。お互いに傘寿を過ぎたのに皆元気でいられるのは、ラッキーだ。
いま世界中の話題になっているロシアのウクライナ侵攻について彼とメールのやり取りをしていて、彼はどちらかというとロシアに近い立場にいると思っていた。日本に留まって日本のメディアからの情報だけに頼っている日本人の立場からは、恐らくとても彼の主張は納得出来ないと思う。だが、1999年のNATO軍によるベオグラード空爆で生死の境を潜り抜け、NATOの攻撃を許せないとの憤りを胸に秘めているので、体験者ならではの考えから彼の考えは本心だろうと思っている。論理的にも彼と同じ主張は、日本ではほとんど受け入れられていないが、我々の仲間は、山崎さんの率直な考えを聞いた限りでは理解出来る。
今回一時帰国の目的のひとつに、来月5日セルビア大使館で開催される、日本とセルビアの友好140周年記念イベントで、彼が作家の夫人ともうひとりの翻訳者との3人でセルビアの著名な詩人、ニェゴシュの詩集を翻訳した経験談を語り合う企画に出席することがある。
日本の詩人とは少々異なる詩であるが、そのイベントにも参加する予定である。どんな話が聞けるか今から楽しみにしている。
さて、所属するNPOから定期観光紙今月号が今日送られてきた。今月号は「マルセイユの『石鹸』」というコラムを書き、その冒頭に南仏マルセイユに列車で着いた時、ビートルズのジョン・レノンがその前日に殺されたことを知った。号外を配る駅の雑踏の中でレノンの死を知り、そこでの興奮の雰囲気に重ねて今月号のコラムを書いたのである。1980年12月だからかなり昔のことになる。ところが、偶々今夕の朝日一面にビートルズが1966年に日本公演を行ったことと、警視庁がその幻と思われていた公演をフィルムに撮り、この度開示されることになったとのニュースが大々的に紹介されている。そこには、厳しい制約があったらしい。ビートルズ・ファンのNPO理事長が歴史的映像として警視庁に情報公開を請求した。警視庁からは、そこには一般人の顔が映っているので、ぼかして公開することを求められた。NPOは50年前の映像で個人の識別は出来ないと反論して全面公開を求めて裁判で争った。最終的にビートルズ以外の人物の顔にはモザイクが施されていたという。どうも個人情報に過剰反応して非公開にする例が多いようだ。
あの日本公演の際の大騒ぎは、今も目に焼き付いているが、気の毒だったのは、メンバーの4人が身の安全のために、ホテルから一歩も外へ出られなかったことだろう。ビートルズの曲の中では、何といっても♪イマジン♪が一番好きだ。いま秘蔵だったフィルムが公開されるに至り話題になっているのもレノンの非凡さと素晴らしい楽曲の故であろう。レノンが亡くなって間もなく42年になる。偶々南仏マルセイユでその訃報に出会ったことに、何か縁のようなものを感じる。