旧ソ連の最後の指導者だったミハイル・ゴルバチョフ大統領が、昨日91歳で亡くなった。ソ連崩壊後日本ではその消息がほとんど伝えられていなかったが、一時代を画した偉大な政治家であったことは間違いない。独裁者だったスターリン、あわや第3次世界大戦勃発かと思わせたキューバ危機を引き起こしたフルシチョフらと並び、ソビエト社会主義国家体制時代をリードしたゴルバチョフは、一時期東西冷戦時代の一方の旗頭でもあった。社会主義経済の停滞を打破するための市場経済導入を柱とした経済改革を意味する「ペレストロイカ」、そして情報公開を意味する「グラスノスチ」などの改革を行った。この聞き慣れない2つの言葉は当時かなり印象的だった。今どうしているだろうかと時折気にはなっていた人物である。
ゴルバチョフは、外交政策で欧米諸国との対立を緩和するため実行した、社会主義圏の東ヨーロッパの民主化や、東西ドイツの統一を容認したことは、決断力と懐の深さを示したと言えよう。何といっても核軍縮が進まない今日、ゴルバチョフはすでに1985年ジュネーブでレーガン米大統領との最初の首脳会談を行い、87年アメリカとの間で核兵器削減条約の中距離核戦力全廃条約に署名した。89年ブッシュ米大統領と東西冷戦の終結を宣言したことは衝撃的で、昨日のことのように思い出される。これによって翌90年にはノーベル平和賞を授与された。この年共産党の一党独裁体制を廃止して大統領制を導入し、最初で最後のソビエト大統領となった。
しかし、あまりにも早い民主化を進めた結果、ソビエト連邦内の共和国に独立の機運が一気に高まり、1922年12月レーニンのロシア革命によりスタートしたソビエト連邦は、建国70年目の91年12月あえなく崩壊した。ゴルバチョフは政治の舞台から退くことになった。以後ゴルバチョフの動静はようとして伝えられなかった。ロシア大国を崩壊させたとしてロシア国内での評価はあまり高くないようだ。それでも昨年12月ロシアの通信社とのインタビューでは、ウクライナを巡るロシアとアメリカの対立を念頭に、双方が対話を続けることの重要性を訴えていたという。すでに現在のウクライナ戦争の勃発を予見していたのである。そして、2月ロシア軍がウクライナへ侵攻した際には、交渉による一刻も早い停戦の実現を求めていたそうである。
広角的な視野で世界を見ていたゴルバチョフに引き比べて、現在のプーチン大統領には、ゴルバチョフのような洞察力と懐の深さが見られない。ロシア革命時代のスターリンを偲ばせるような独裁的、覇権的言動は、独断専行で周囲に恐怖感を与えているだけに思えて仕方がない。ゴルバチョフの訃報に接して、バイデン米大統領が「世界中の人びとに安心をもたらした」、ジョンソン英首相は「常に尊敬していた」、マクロン仏大統領「自由の道を開いた平和の人」、グテーレス国連事務総長「歴史の流れを変えた比類なき政治家」のように世界中の要人からゴルバチョフの死を悼む声が寄せられた。それに引き換え、プーチン大統領からは報道官の話として、深い哀悼の意を表し、直ぐにも遺族に弔電を送ると伝えられただけだった。そればかりか、学校教育の現場にまで愛国教育の徹底を教育庁に指示したというから、末恐ろしい事態が起きなければ好い。
明日9月1日から新学年が始まるが、教育庁は課外授業で侵攻を正当化し、愛国者は祖国のために武器を取る覚悟があると教えるよう教師に求めているという。当然教育現場からは反発の声が出ているようだが、プーチンのこと故聞き入れる気はないだろう。
おでこに大きな傷跡が残っていた愛くるしいゴルバチョフに比べ、一切笑顔を見せないプーチンの冷酷非情そのものの顔をイメージすると、プーチンのロシアが今後どれだけのことを仕出かすのか、考えるとゾッとする。