拙著「八十冒険爺の言いたい放題」の電子書籍化に伴い、amazonが独自に1週間のキャンペーンを企画してくれ、拙著が第5位にランクアップされ大変うれしく有難く思っている。対象となった電子書籍は約1千部であると聞き、その中で5番目の人気というから多少は胸を張っても好いのではないかと思う。好評のせいもあり、今日出版社から既刊の拙著についても電子書籍化を検討してみてはどうかと打診があった。いま候補に挙がっているのは、2008年に上梓した「新・現代海外武者修行のすすめ」と、2014年上梓の「南太平洋の剛腕投手」である。書籍化するかどうか、じっくり検討したいと思っている。
さて、夏の全国高校野球大会がいま宴たけなわである。開会式以来一昨日、昨日の僅か2日間の戦績をみただけだが、かつては考えられなかった現象が見られる。それは、強豪、及び弱小の都道府県代表校の選出に大分変化が見られることである。かつては関西地区のレベルが高く、北海道や東北地方など寒冷地の高校は戦力的に劣り1回戦で姿を消すケースが多かった。それが今夏は見違えるようになった。京都代表校を岩手代表校が破り、岡山代表校を青森代表校が、広島代表校を最弱県山形代表校が撃破したことでも分かる。以前にはほとんど考えられなかった珍事とも言える。かつては、山形県代表校が1回戦の壁を毎年のように破れず、その不甲斐なさにこともあろうに山形県議会で強化策が議論されたほどである。現時点では予想を覆して東北県代表校はすべて勝ち残っている。
その他にも新陳代謝が見られる。かつては、平安高(現竜谷大平安高)が抜きん出ていた京都では、京都府と滋賀県の2府県を合わせて1校の代表を選出していたが、滋賀が京都の壁を破れず、1953年に地区決戦で初めて滋賀代表校・八日市高が京都代表校・西舞鶴高を破って甲子園初出場を果たし注目を集めた。しかし、その八日市高が、1回戦で金沢泉丘高と対戦して1―4で無念にも敗れた。京都市立中学3年時の終戦記念日に偶々甲子園でこの試合を観戦することが出来た。ところで、その京都府代表が、今年は1回戦で敢え無く消えてしまった。その一方滋賀県代表校は力を付け代表校の近江高は、春の選抜準優勝校となり、昨日の1回戦では四国の強豪徳島県代表鳴門高校を降した。押し並べて昔と大分形勢が変ってきたように思える。
その原因として考えられるのは、各地の新設私立校が野球部強化に力を注ぎ、優秀選手の獲得に力を入れ出したことである。それが徐々に効果を表し始めた。中学時代に素質を見込まれた選手が、強豪高校、或いは遠隔地の高校からスカウトされるケースが増えて来た。その結果、今夏の出場校49校の内、公立校は僅か11校である。いまから約30年前の1990年には、49校中ほぼ半数の24校が公立校だった。この傾向は今後一層強まる可能性がある。
因みに直近の公立高校甲子園優勝は、2007年の佐賀県立佐賀北高校が最後である。わが母校・湘南高校も公立校として1949年に甲子園初出場初優勝を成し遂げたが、あれから早や73年が経過した。
それぞれ事情はあろうが、東北地方の高校が力をつけてレベルが平準化したのは、喜ぶべき現象だと思うが、その一方で強化費用として活動環境整備、専任コーチ採用、合宿所建設などの設備費用などに難問を抱える公立校が、少しずつスポーツ・イベントに顔を見せなくなってしまうことは、寂しいことでもある。