世界の国々は、大雑把に言えば民主主義国家と覇権主義国家に色分けされ、対比されがちである。幸い日本は欧米諸国とともに前者と見られているが、一方の覇権主義国家の急先鋒としてロシアと中国、そして小国ながら北朝鮮が名指しされている。2年前に放映されたNHK・BS番組「映像の世紀」シリーズの「独裁者 3人の‘狂気’」が今日再放映され、20世紀の3人の独裁者、ムッソリーニ、ヒトラー、スターリンの狂気染みた人生と君臨ぶりを洗い出していた。世界史的に、またいま第3次世界大戦の兆候が窺える中で、興味深く感じ、大変考えさせられた。
3人の独裁者の狂気溢れる行動は、ある程度承知してはいたが、部分的には新たに知った場面も多かった。ただ、終盤で無謀な第2次世界大戦へ突っ込んだムッソリーニとヒトラーが敗戦間際になって国民から背を向けられ、悲惨にも国民に殺害されたり、愛人ともども自決したのに引き比べ、戦勝国側にいたスターリンは、74歳で亡くなるまで第2次大戦で自国をナチズムから解放し、大国ソ連の地盤固めをした功労者として、ソ連国民から称賛と尊敬の的となっていたのが対照的だった。しかし、事態が急変したのは、スターリンの死から3年後、当時のフルシチョフ首相がスターリンの実績を全否定したのである。当時神格化されていたスターリンを神棚から引きずりおろすようなスターリン批判を行ったのだ。果たしてこの時ソ連に反政府、反フルシチョフ暴動は起きなかったのだろうか。確かにスターリンの功績によりソ連は、二等国から一等国へ駆け昇ることが出来たが、問題はその過程にあった。社会主義、共産主義の看板を高く掲げたが、その実態は理想や看板とは遥かにかけ離れ共産主義国家とは真逆と言えるものだった。帝政ロシア貴族に替わって台頭した軍人、官僚らが権力を振るい権威を恣にして国民の生活、及び福祉向上には力を注がなかった。そのため社会主義の目標である貧富の差は解消出来なかった。20年前の冬シベリアを訪れた時、雪が降る寒い中で多くの人びとが物乞いしている姿が首都モスクワ市内に見られたし、シベリア鉄道沿線ではとても一等国とは思えない貧しい生活を送っている多くの人びとを見た。
いまウクライナ戦争を引き起こし、世界中から非難されているプーチン大統領は、スターリンを尊敬し、強権力を行使して再びスターリン政治の復活に意欲を燃やしているという。自らの意思と欲望もあり世界に冠たる大国、強国を作り上げようと言うのである。怖いのは、その動きに同調する国民がロシアには思いの外多いことである。現在の中華人民共和国を創建した毛沢東も、スターリンににじり寄って歯が浮くようなお世辞を言ったが、その毛沢東は今生で最大の虐殺者と言われ、生涯において実に6千万人の人びとを殺害した。2番目がスターリンで2千万人、3番目がヒトラーで11百万人と言われている。そのスターリンへの憧れを口に出すプーチンが、ロシアの現在の強権独裁者である。
今日のロシアや中国には、強い独裁者に憧れる国民の体質があるのではないかと思う。他の民主主義国家には、それほど見られない傾向である。人は変われども、時が経てば同じ性格の人物が国のリーダーとなる。毛沢東の後継者でもある習近平国家主席にしても、毛沢東を尊敬している。身勝手な弁明で他国へ一方的に侵攻したロシアや、公海に人工島を作り自国領とし、日本のEEZまで冒す中国のような覇権主義国家の独裁者であるプーチンと習近平が、権力を一手に握っているのは実に恐ろしいことである。そう考えるとプーチン大統領は、スターリンに、また習近平は毛沢東に相通じる強力な権力志向のある傲慢な独裁者である。いま身勝手な理由でウクライナへ一方的に侵攻したプーチンと、台湾周辺で威嚇砲撃を続けている習近平には、スターリンやヒトラーと同じような権力者とその性向をダブらせる。