5398.2022年6月1日(水) 亡命中の日本赤軍・岡本公三が姿を現す。

 先月27日の本ブログに50年前イスラエル・テルアビブ空港銃乱射事件に、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)と事件を共謀した日本赤軍について書いた。日本人3人の内、2人は亡くなったが、ひとり岡本公三だけが逃げて、その後身柄を捕捉された。しかし、日本赤軍はPFLPがイスラエルに対して仕掛けたテロに同調して、パレスチナ難民に協力的だったことを理由に、レバノン政府は岡本に亡命を認め、PFLPの保護管理下に消息不明のままレバノン国内で生活しているとされていた。これまで岡本の行方について日本ではまったく知られていなかった。

 ところが、唐突にその岡本が世間に姿を現したのである。奇しくも一昨日は、テルアビブ空港で銃乱射事件が勃発してからちょうど50年になり、レバノンの首都ベイルートで記念集会が開かれた。そこへ亡命中の岡本公三が、支援者に付き添われて姿を現した。日本でちょうど日本赤軍元最高幹部だった重信房子が、収監されていた都内の収容所から刑期満了で出所したタイミングに合わせたかのようである。今朝の朝日新聞国際版には、全面のほぼ1/4を占めるほどのスペースに支援者に取り巻かれ、しゃがみこんでいる笑顔の岡本の姿が映っている。更に夕刊にも第一面のトップ記事として大きく報道されていた。國際手配して身柄を追っている警視庁をあざ笑うかのようにあの亡命中の岡本が堂々と顔を見せたのである。

 まるで2年前の9月、高校ラグビー部の1年上級生だった元全学連書記長で中核派リーダーだった清水丈夫さんが、同じように50年ぶりに地下活動から公の場に姿を現し、メディアでも大きく取り上げられた時と似た構図である。

 今や国内ではかつてのような学生運動や、過激的な反政府運動がすっかり影を潜めた。そのせいで世の中は幾分静かになり、過激なデモは姿を消したように思える。ただ、騒がしく街に異様な雰囲気を漂わせ、一部には危険な気配も感じさせた学生を主とする若者たちの民主化運動が消えると同時に、社会からエネルギーやバイタリティ、活力が失われたように感じるようになったのも事実である。そして、少しずつ保守層が勢力を伸ばし、今では自民党支持率が過半数を超えるようになった。それは憲法改正の声を徐々に高めているようだ。いずれこの状態が続くなら、自衛隊を軍隊にして、恐ろしいことだが、核兵器まで保有して、軍事大国日本となる日もそう遠くないことだろう。

 重信や岡本は何が故に革命思想に捉われ、海外で国際的テロ組織過激派に身を投じて危険でリスクの高い生涯を送ることになったのだろうか。2人とも残念ながら今日まで本心を明かしてくれない。私自身60年安保闘争に没入していた頃は、真剣に日米安保条約の基本である基地問題や日米不平等協定に反対し、ベトナム反戦運動ではベトナムにおける戦争を1日も早く終息させることを願ってデモ行進をしていたものである。その頃の熱気は、今や街には感じられない。これが平和国家日本?なのだろうか。

2022年6月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com