5381.2022年5月15日(日) 沖縄本土復帰50年とブログ開始15年

 今日5月15日は、言わずと知れた沖縄が日本本土へ復帰してから50年になる。この数日メディアでは、戦時中の戦禍、アメリカの占領時代、アメリカとの復帰交渉、50年前の復帰当時の様子、そして今日の沖縄について映像を交えてその歴史を時系列的に伝えていた。沖縄が日本に復帰したからこそ日本内地と同じ生活が送れるというのは建前では分かるが、実際に沖縄に住む人々に言わせれば、随分差別されているという。実際沖縄の人びとの収入は、全国47都道府県の中で最も低い。経済的に最も恵まれないとも言える。

 今日午后2時から国が主催する「沖縄復帰50年記念式典」が那覇市内で開催され、岸田首相、玉城知事も出席してスピーチを行った。天皇もオンラインでお祝いの言葉を述べられた。

 沖縄が日本に返還されたとは言え、当初から幾多の難問が発生し、今以て解決されていない根深い問題がある。その最大のものは、沖縄にあるアメリカ軍基地の存在で、基地自体もさることながら基地が沖縄県民との間で引き起こす問題が多いことである。戦後アメリカ軍基地は日本から徐々に撤収されたり、規模が小さくなったが、国内の米軍基地が少なくなっているのに対して、沖縄の基地はそのまま残っていることであり、そのため終戦後は沖縄の基地は全体の1割程度だったが、復帰前後には6割となり、今では沖縄の基地の割合は全国の米軍基地の7割にまでなっていることである。沖縄の基地は、その規模が縮小されず、そこに核兵器が貯蔵されていたことまで、後に当時のアメリカ軍高等弁務官によって明かされた。米軍兵士たちが、沖縄県民に対する迷惑行為も後を絶たなかった。

 今喫緊の問題は、普天間基地の辺野古への移設である。沖縄県では、玉城知事以下県民大勢が反対を唱えているが、政府はこれこそが最善の方法として地元の反対を受け入れず、着々と工事を進めている。誤解され易いのは、中国の海洋進出と直近のロシアのウクライナ侵攻により、防衛力の拡充に抵抗がなくなりつつあることであり、国の安全保障の観点からも日米防衛同盟を強化すべきとの論調が出回っていることである。それは更に憲法改正により、自衛隊を条文に明記して軍隊とすべきとの説になって罷り通っている。

 かつて私も沖縄本土復帰運動に参加して、会社の勤務の合間を縫ってデモに参加したこともある。当時の沖縄人は、純粋に日本への復帰を望んでいただけだったが、今や米軍の存在によって地域の発展とか、個人的な利益など、視点がずれているような気がする。

 自戒を込めて言うなら、残念ながら、日本国民の気持ちが、沖縄の米軍基地撤去へ気持ちがまとまっておらず、沖縄県人の基地撤去運動を他人事のように見ていることが、最も沖縄の米軍基地問題の解決を遅れさせていることになる。
 さて、今日は私個人にとっても沖縄復帰とは別に、画期的とも呼べる1日となった。ホームページを公開し、同時にこのブログを書き始めたのが、今から15年前の今日であり、今日から16年目に入る。この間海外へ出かけても彼の地のホテルで書き続けて1日も休まず、昨日まで連続5,380回も書き続けて来た。よくぞやったと少しばかり自分を褒めてやりたい。問題は、今後いつまで書き続けていけるだろうかということである。体力的にも少々問題を抱えている。整形外科医師にも以前からPCは少しセーヴするように言われている。だが、暫くはこのまま走り続ける気持ちでいる。

 その15年前の書き出しには、1932年の今日、青年将校らによって犬養毅首相が殺害された日本初の反乱事件である5.15事件が発生したが、最近この事件について報道されることがほとんどなくなったことに悲憤慷慨している。この日以降日本は徐々に軍国国家へ傾斜して行った。それほど日本近代史上重要な1日であるのに、どうして報道しないのだろうか。実際今日もどこのメディアからも5.15事件については伝えられず、今や事件はまったく蚊帳の外である。メディアは、これを何とも思わないのだろうか。

2022年5月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com