5343.2022年4月7日(木) 小中陽太郎氏、日本ペンクラブを去る。

 ウクライナにおけるロシア軍の攻撃の結果が徐々に明らかになり、言葉では言い尽くせないほど悲惨なものになってきたことが分った。過去の悲惨な戦禍として、日本でも終戦の年の今日、かの戦艦「大和」が鹿児島の沖合で米空軍機の激しい攻撃を受け撃沈させられ、3千人を超える尊い命が失われてから77年目になる。戦艦一隻が現在でも4千億円もかかるという無駄遣いとあまりにも多くの犠牲者を生んだ戦争は、いつの時代でも止めなくてはいけないと声高に叫ばれるが、現実には世界各地で大小いくつもの戦争が起きている。その中でウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシア軍のウクライナ侵攻は第2次大戦後最大級の残酷な戦争だと言い放った。
 現在も停戦交渉は進められているが、お互いに受け入れ難い条件を提案しているだけに、そう簡単に協議はまとまりそうもない。まだ当分の間ウクライナが、ロシア軍の理不尽で、情け容赦のない攻撃を受けなければならないのかと考えるとつい憂鬱になる。

 さて、このほど日本ペンクラブから今年度の会員名簿を郵送してきたが、さっと見てペン会員へ推挙して下さった小中陽太郎氏の名が消えているので心配になり、コロナ禍でなければ近くのご自宅を訪れるところだが、取り敢えず小中さんへ電話してみた。80歳を過ぎたからどうでも好いようなお話で、名誉会員としてペンに残るお気持ちも特別にないように受け止めた。数年前までは、小中さんを中心にペンの改革のために意のある我々有志がまとまって、ペン全体の体制的なものから細部まで前向きに改革しようと話し合って行動していたが、必要な数の理事を確保できず、結局体制派に押し切られた形になった。私も今ではペン改革のために進んで行動しようとまでは考えていない。しかし、当時の執行部のやり方には今でも大分不満が残っている。

 実は、HPの3月分総括として、Googleから報告された私のブログの中で、アクセス数ベスト3の中に、2019年4月4日に書いた「日本ペンクラブの不条理な言論抑圧」が入った。それはその2年前ペンの改革を試みようとしたが、出来なかったことに理不尽さを感じて、ブログに書いたものである。当時の会長以下執行部役員が、自分たちの思うように業務を進めようとの利己的な理由から、身勝手に彼らの意向に合わない理事、つまり小中さんや私らを追放、排除しようと企んだのだ。

 その手始めは、17年2月から3月にかけて実施された理事選挙に際して、ある執行部役員が20名の理事候補者名簿を都合よく作成し、今後2年間はこのメンバーに運営を任せてもらいたいので、理事選ではこの20名に投票して欲しいと訴えるメールを会員宛に広範に送信したのである。会員の誰かが個人的に数名の会員を理事に推薦するメールなら問題はない。ところが、理事選挙で選ばれる理事の定員は20名に決まっており、それを執行部の幹部が結託して20名をリストアップしているということは、リストから漏れた他の理事候補者への投票を控えて欲しいということであり、明らかに選挙妨害に当たる。これを組織的に行ったことは言語道断であり、許されることではない。

 日本ペンクラブは、これまで民主的な組織として島崎藤村・初代会長以来「言論の自由」及び「表現の自由」を主張し追求してきた。そうしたこれまでの行為と実績が蔑ろにされたのである。会長以下の現執行部役員が身勝手で個人的な考えと名誉欲によって、「言論の自由」を抑圧したばかりでなく、すべての日本ペンクラブ会員の信頼を裏切り、日本ペンクラブの名を汚したことは到底容認することが出来ない。このような主旨をブログに書き込んだのである。それが受けたのか、今頃になってアクセス数が急伸したのだ。

 今年米寿を迎えられる小中さんが、80歳を超えたらあまり拘らないと仰っておられたが、私も80歳は超えた。ただ、小中さんは、かつてはベトナム戦争中にぺ平連を立ち上げ、アメリカ人脱走兵を逃亡させ世間へ強烈なインパクトを与えて当時の若者にとって目標とも言うべき人だった。そのパフォーマンスで若い世代の代表のひとりとして一世を画した人だけに、今ペンから身を退かれるのは実に惜しいと思う。小中さんのお蔭で現在も拙いながらも何とか執筆活動を続けている。私の3度の出版記念会にもすべて出席して下さり、その都度お祝いのスピーチもして下さった。頭が上がらない。小中さんは淡々として達観しておられるようだが、まだある面で意欲を燃やしておられるようなので、これからもご活躍いただきたいと願っている。

2022年4月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com