5326.2022年3月21日(月) 母校幕張小学校創立150年記念誌

 春のお彼岸のお中日である。3連休の最終日とあって各地で大分人通りがあったようだ。しかし、お墓参りはどうだろうか。わが家でも新型コロナウィルスのせいで3年近くもお墓参りをしていない。コロナが終息したら出来るだけ早めに先祖のお墓参りをしたいと思っている。昨日東京で桜の開花が伝えられたが、全国各地からも桜の便りが聞かれるようになった。上野公園の桜は大分開花しているようだが、宴会や大声を出すことを自粛要請されているので、例年の賑わいはない。

 さて、今日母校・千葉市立幕張小学校の教頭先生から、昨年創立150周年を迎えた母校を記念してこのほど発行された記念誌を、兄と弟2人分を合わせて4冊を送っていただいた。校舎の写真に「新しき世の風に息吹かん~」と校歌の一節が書かれているが、この校歌もわれわれが在校中に校歌とされものである。すでに今月5日に母校では、教職員、生徒、PTA関係者らだけで1年遅れの祝典を行ったという。昨年7月私も校長から寄稿文を依頼され寄稿したが、意外だったのは150年の歴史ある母校卒業生の名文を楽しみにしていたところ、千葉市長を始めとする行政職の方々、学校PTA関係者、現校長以下歴代校長らの他には、卒業生として作家の椎名誠氏と私のたった2人で合計13名しか寄稿されていないことだった。しかも椎名氏とは深い因縁がある。最新著「八十冒険爺の言いたい放題」の表紙帯に推薦文を書いてもらったし、亡くなったクラスメートの実弟で、彼の兄とは野球仲間だった。カラーフルな記念誌を見ていると懐かしさが込み上げて来る。

 卒業して71年が経つが、町も学校も大きく変わった。一番の変化は、幕張町が千葉市へ編入されて、遠浅の海岸が埋め立て工事されて毎夏海水浴をした海岸がなくなったことである。今では埋立地の上には高層ビルが建ち並ぶようになった。空中写真を見ても大体わが家の立地は見当がつくが、周囲の環境は大きく変わってしまった。2階だった木造校舎の学校も4階建てコンクリート建築に再建され、校庭内にあった1本の大木もなくなってしまった。

 幕張メッセが建設され、国際見本市や国際会議が開かれるようになり、近くに体育館や野球スタジアム、ホテルなどが林立して私たちが潮干狩りをしたり、埋め立て地で野球をやった当時の面影はまったく消えてしまった。

 今でも世話役が面倒をみて毎年のようにクラス会を開いていたが、このコロナ禍でこの3年近くクラスメートに会うことも出来ない。交通の便が良く、東京にも近いにも拘わらず、今以て田舎臭さを漂わせている幕張だが、感受性の豊かだった小学生時代を素朴に、自由奔放に過ごせたことは幸せだった。田舎町の名残りだろうか郷愁を感じるのは、今もこの幕張に住んでいる当時の同級生がまだ何人かそのまま居住していることである。これまでこの幕張を訪れたことがほとんどなかったが、この機会にコロナ明けには一度潮の匂いとノスタルジアを求めて母校の伝統を探りに訪れてみようかと思っている。

 明日の東京地方は最高5℃の真冬並みの気候になり、電気の消費量が増えることから、16日の地震により福島県の広野火力発電所の機能が失われ、電力ひっ迫が予想されるとの判断で、政府は夜になって「電力需給ひっ迫警報」を初めて発令した。

2022年3月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com