5377.2022年1月31日(月) コロナで規制される自由と権利の分別

 このところメディアでは連日新型コロナウィルスに関するニュースが、かなりの時間を割いて報道されている。だが、首を傾げざるを得ないのは、世界のコロナ防止対策を見ても一部の国では規制を強化する一方で、隣りの国であっても規制を緩和する国も出ていることである。考え方と対策がバラバラなのである。ワクチン接種の義務化も国によっては物議を醸している。テレビの画像を観ても日本のように100%近くの人びとがきちんとマスクを着用している国もあれば、マスクを着用していなかったり、口だけマスクを着用して効果の程が疑わしい国もある。そこには、どうやら欧米のような自己顕示欲の強い民主義国家では、例えば法律によってマスクの義務化まで押し付けるのは、自由権の侵害との考えがあるからである。

 ワクチン接種率76%のフランスでは、残るワクチン未接種者に対する処分を強化した。マクロン大統領は未接種者を懲らしめるような強硬な発言までしているが、民主化と自由を標榜する国民性が必ずしも納得していない。それでも国民の6割が大統領の発言を支持して、フランス国民の国民感情は割れている。あまり国民の間に人気がなかったマクロン大統領も、4月に実施される大統領選を控えて、コロナ対策について積極的な発言が目立つようになり人気がぶり返してきたようだ。

 その他にオーストリアでは、18歳以上の国民に接種を義務づける法律を成立させ、未接種の場合は罰金が科せられる。イタリアでも50歳以上に、ギリシャでは60歳以上に接種を義務づけ、違反するといずれも罰金を科している。他方、アメリカでは連邦政府職員や医師らに接種を義務化したが、一般国民に対する接種は、連邦最高裁判所が認めないというから、接種の義務化は市民の権利と自由に反していると見ているのだろう。

 私は、この決定はナンセンスな面があると思っている。義務化は、ある面で肉体的に拒絶反応がある人は別にして、認められて然るべきだと思う。例えば、接種することによってコロナに感染しない可能性が高まるということは、他人へ感染させないことでもある。自分が感染を防止する手立てを講じることは、他への感染、コロナの流行を食い止めることでもある。コロナを防止するためのマスク義務化は、欧米社会の個人の自由の制約という考え方とは違うと思う。どうも国民の権利とか自由が、誤解されている。

 例えば、アメリカの銃砲社会が、銃の乱射、暴発により多くの犠牲者を生んできたことはアメリカ社会の病根となっている。銃の所持を禁止さえすれば、殺人事件は一気に減る。銃砲の所持は西部開拓時代から今以て続けられている。外から見れば、他の国では禁じられている銃保持を禁じれば、問題は解決出来る。実際間違いなく殺人事件は減る。それにも拘わらず、それが出来ないのは、銃の個人的所有を抑圧することが個人の自由の権利を抑圧すると考えるからであり、個人の権利の侵害であるとの自己都合の権利主張であり、他人へ与える影響についてはまったく無視している。実はそこには、銃砲製造会社から連邦政府や、国会議員へ巨額の献金が公然と行われている実態があるからである。

 個人の自由と権利は、あくまで他人に害を与えない範囲内での自由の行使である点が前提であり、その点で誤解と考え方に履き違えがあるように思えて仕方がない。

2022年1月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com