5338.2021年12月23日(木) テレビの大津事件の対応に納得

 今年も押し詰まって来た。昨日は冬至に当たり、今日は上皇の誕生日で上皇は米寿になられた。天皇ご一家と皇族方、並びに三権の長が上皇の仮住まいの仙洞仮御所をお祝いに訪れたが、このコロナ禍では世間にもあまり大きく伝えられない。そして、明日はクリスマス・イヴである。コロナ前なら街にジングルベルの曲が流れ、イルミネーションも派手に飾られたことだろう。何か寂しい年末の光景である。

 今日小学生の2人の孫に手作りの折り紙作品を送った。5年生の男の子は今ラグビーに夢中になっているが、2年生の孫娘はピアノを止めてしまったので、ちょっと気になっている。素直にのびのびと成長してくれれば、言うことはない。

 さて、昨晩7時30分から毎週リラックスしながら観ているNHK・BS「旅ラン」が鎌倉市内のランというので、紅葉の鎌倉市内を走るだろうと期待していた。思っていた通り住宅地や観光地を走って久しぶりに鎌倉の紅葉を目で味わえた。実は、その後8時から同じNHK・BSで「英雄たちの選択」を観た。この番組は、いつもその道の専門家が歴史的な出来事や人物を分かり易く説明してくれるので、時々楽しんでいる。

 昨晩は、大津事件発生後の明治政府の悩みと帝政ロシア政府に対する謝罪について明治政府の苦悩と列強国への対応を巡る駆け引きを、歴史の専門家や弁護士らが分析し分かり易く解説してくれ、初めて知る事実も多く随分勉強になった。

 大津事件とは、京都から巡行してきた帝政ロシアのニコライ皇太子を警備中の警察官がいきなり日本刀で切りつけ、皇太子を負傷させた事件である。これまで日本史の授業では、事件発生の年月と関係人物、事件のあらましを習うだけで、国家の上層部が外交上謝罪、並びに解決のためにどれほど苦悩に耐えてロシアをはじめ、列強諸国、国内を納得させるべく奔走し、解決へ導いたかという点については、学ぶことはほとんどなかった。

 事件が発生したのは、今から130年前の明治24(1891)年5月だった。その当時の帝政ロシアは世界に並み居る列強国であり、日本は及びもつかない3等国と言っても過言ではなかった。稚拙な対応をすれば、それを口実にロシアに攻め込まれ、領土割譲という事態にもなりかねず、日本では直ちに明治天皇が東京駅から列車で大津まで皇太子に直接謝罪のため赴いた。

 面倒な問題は犯人津田三蔵を死刑にしなければロシアが納得しないだろうと考えられ、人の人間を傷つけただけでは死刑を課すことは難しく、明治政府内で松方正義首相以下閣僚は、法を曲げても死刑にすべしとの意見が主流だった。ロシアによる報復の恐れから、政府が司法に介入することも考えられないことはなかった。ところが、最高裁長官に当たる大審院院長の児玉惟謙が旧刑法では、死に至らなかった外国の皇族に対する犯罪で最高刑は無期懲役で、死刑にすることには無理があると政府の考え方に反対した。幸い犯人の死刑を求めていたと見られた帝政ロシア政府も天皇が即座に謝罪に駆け付けた真摯な対応を評価したのか、日本が犯人を無期刑に称する決断を理解し、納得したのである。

 民主主義の基本原則である三権分立を損ないかけない事件だったが、瀬戸際で食い止めた。明治憲法が発布されてまだ2年しか経っていない民主主義黎明期に、憲法の精神である司法への政治的介入が行われなかったことは、日本の立法と司法の、境界線と立場をぎりぎりで守ったと見られている。

 昨晩のトークでは、2人のコメンテーターと歴史家、著述家、弁護士がかなり深く突っ込んで話し合っていたが、その会話が理性的で頭にすんなりと入る論理だった。

 久しぶりにテレビで日本の歴史的事件を整理された運び方と解説により、すんなりと理解させてもらった。気障な言い方だが、すっきりした気分である。

2021年12月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com