5333.2021年12月18日(土) 江田五月・元参議院議長逝去

 寡聞にして知らなかったが、元参議院議長の江田五月氏が、7月に肺炎で亡くなられていた。今日の夕刊で初めて知ったが、体調が悪いという噂はまったく耳にしていなかった。早速参議院議員会館で江田氏を紹介していただいた元日本テレビ政治部長の菱山郁郎さんにメールで江田さん死去の報道に驚いたことを知らせたところである。

 運命のいたずらであろうか、かつて社会党書記長だった父江田三郎氏が亡くなったのは五月氏の誕生日だったという因縁があるくらい、江田父子のつながりは強かった。しかし、知性的な父親に勝るとも劣らないほど知性の人だった息子の五月氏は、当時威勢の良かった社会党内では策士が多く、党内では持てる能力を存分に発揮することは叶わなかった。父子ともに信念と理想への思いを成し遂げる前に無力化する運命に翻弄された。父三郎氏は党内左派から激しい突き上げを受けて社会党を離党し、新党結成して参議院選挙に臨もうとした直前に亡くなられた。裁判官の職を投げ打って父親を引き継ぎ政治家になった五月氏も、政治の流れを掴み切れず、その後岡山県知事選で落選したりもした。それ以降はあまり目立った政治活動は控えて、一議員として淡々と議員生活を送っていたが、人望もあり裁判官だった経歴を生かして中立的な参院院議長に就任することになった

 何年か前に前記の通り菱山氏の案内で国会を見学した後に、参議院議員会館で菱山氏から江田五月氏をご紹介いただいた。五月氏は東大生時代に学生運動で退学処分を受けたくらい過激に行動していたこともあり、年齢的には4年ほど差があるが、私のよく知っていた全学連書記長だった清水丈夫氏をご存じかどうか尋ねたところ、意外にも名前も顔を知っているが、特に親しい間柄ではないと仰った。東大スト事件では、清水さんが先頭に立っていたので、当然江田氏はご存じだったと思っていたが、肩透かしを食らったようだった。

 それにしても数多くいる国会議員の中で江田氏は良識派で、ぶれないリベラル政治家だったと思う。昨今の麻生、安倍、菅ら元首相らに比べて遥かに真面目で理性と知性が備わった政治家だった。だが、彼らとは立ち位置が異なったが故に、総理大臣のポストに就くことは出来なかった。

 お会いしていても誠実さが滲み出るようなご性格であり、腹に一物の政治家の中では純粋過ぎたことが、海千山千の国会議員の中で力を発揮出来なかったのではないかと思っている。私より3歳若い。惜しい人材を失ったものである。

 今日はもうひとり著名な市井人の訃報を知った。北朝鮮拉致被害者連絡会つい最近まで代表を務めていた飯塚繁雄さんである。私と同年の享年83歳である。昨年亡くなった横田滋さんから代表を引き継いで14年間、その職を務めた。生前一向に前へ進まず解決の見通しが立たない拉致問題家族会を代表して、厳しい試練にあいながら家族会を支えていのは、言葉に表せないご苦労があったことと思う。家族会の人たちも年々年老いて先行きは明るいものではない。

 奇しくも昨日は日本人拉致を国策として実行した北朝鮮の金正日最高指導者が亡くなってちょうど10年目だった。北朝鮮では全国的に追悼式が行われたが、生前拉致被害者を日本に返すと小泉元首相に約束していながら、北朝鮮は不誠実にも「拉致問題は解決済」と繰り返すばかりで一向に解決への扉を開こうとしない。飯塚さんもやりきれない思いで冥界へ旅立ったことだろう。

 岸田首相も拉致問題は最大の課題と安倍元首相以来の約束事を念仏のように唱えているが、その解決への道筋はまったく見通せない。どうしたことだろうか。夕刻になって漸く岸田首相は、飯塚さんに申し訳ないと語り、全力を傾けて拉致問題解決に努めると話した。

 遥かにお2人のご冥福をお祈り致したい。

2021年12月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com