5207.2021年8月14日(土) 甲子園また順延。戦時中の「幻の甲子園」

 いつもなら今頃は甲子園の高校野球で盛り上がっているころだが、生憎今年の夏は九州から本州を全域的に襲った豪雨のため、3日連続で全試合が順延される異例の事態となった。46年ぶりのことである。今日で6日目の筈だが、試合はまだ2日間しか行われていない。来週も降雨が続くと予想されているので、このまま更に延期されるようだと、その後予定されているプロ野球の日程とダブりかねない。

 さて、戦後76年、明日は「終戦の日」である。戦時中の全国中等学校野球大会(現全国高校野球大会)について新聞の切り抜きを紹介したい。太平洋戦争直前の1941(昭和16)年の夏の甲子園大会は、地方予選こそ行われたが、移動の制約や、戦時色の強まりで甲子園の本大会は中止となった。翌42年恒例の朝日新聞社主催ではなく、文部省が「国民精神の高揚」のためと唱して主催し、全国中等学校優勝野球大会が開催された。しかし、日本高等学校野球連盟(高野連)の記録には正式には記録されておらず、「幻の甲子園」と呼ばれている。以後1946年まで再開されなかった。

 その「幻の甲子園」で優勝したのが徳島商だった。決勝戦では京都代表・平安中(現龍谷大付属平安高)と対決して、延長11回四球により押し出しサヨナラ勝となった。その10年後私は平安高付属平安中に転入した。平安中のかつての同級生たちは、平安高3年生となった昭和31(1956)年、晴れて3度目の全国優勝を飾った。その7年前に神奈川県立湘南高が、初出場・初優勝を成し遂げた。そして昭和29年、私はその湘南高へ入学することになった。何かと甲子園とは縁が切れない。

 42年あの戦時下で支障なく開催され、日本本土のみならず、朝鮮、満州、台湾など旧植民地の代表校ら16校が出場した中等学校野球大会は、当時の開会式の写真を見る限り平時と変わらずスタンドは超満員だった。主催者が朝日新聞社から文部省に代わったからとは言え、ルールに則って盛大に行われた大会を正式な記録から取り除いて幻の大会にしたままでは、力を発揮して栄誉ある出場を勝ち取った学校や選手らにとっては諦めきれない悔しさと理不尽さが溜まるばかりだろう。

 当時台湾の台北工から出場した現在95歳の選手は往時を想い、「甲子園ちゅうのは夢の夢。行きたくて行きたくて。とにかく喜びました」と回顧している。兄も同校の投手で主将だったが、翌年卒業と同時に陸軍に入り沖縄に派遣され乗艦が爆撃されて命を落とした。今も存命の16校の部員らは、お互いに連絡を取り合い「幻の甲子園 球友の会」として集いを開いているという。実際に地方予選を行い甲子園で優勝決定戦まで行い、これほど麗しい話がある甲子園大会を最早「幻の甲子園」とは呼ばずに、正式な大会と認めてあげても良いのではないかと思う。

 野球好きが高じて甲子園と関係深い中学、高校に通った私には、いつまで経っても甲子園への思いは人一倍で、懐かしいところである。

2021年8月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com