5161.2021年6月29日(火) 初等教育の場に作文の時間を

 昨日の朝日朝刊「天声人語」に島崎藤村の「夜明け前」を同コラム執筆者が未だ通読していないやるせない心情を打ち明けている。「夜明け前」は、言わずと知れた明治維新前後の中仙道宿場の馬籠、妻籠村の庄屋に生まれた主人公・青山半蔵の生き方を波瀾の時代背景とともに描いた名作である。同じ藤村の「破戒」とともに、浪人時代から大学生のころ没入したものだ。筆者は「夜明け前」の読了に何度も挫折してダイジェスト版に手を出したそうだが、それでは筆者自身も言っているように読んだことにはなるまい。その点で私自身まだ読書欲が強かった時代に一気に通読したおかげで、その後も国内外の名作をいくつも読破することが出来たことは今日振り返って幸運だったと思っている。

 「破戒」は「夜明け前」の前に読んだが、主人公の瀬川丑松が部落民の出自であることに後ろめたさを感じて他人に打ち明けるべきかどうかで苦悩する内容で、まだその部落民「穢多」=「エタ」という言葉も意味も知らなかった当初は、ストーリーの途中まで話が何だかよく分からなかったことを想い出す。最近ではこれほど心にずしんと来る訴求力のある小説は滅多にお目にかかれなくなった。

 さて、文部科学省では小中校の授業時間を学校の裁量で変えられる新制度を来年度から導入する。国が各教科で定める最低限の授業時間の内最大1割分減らし、別の教科に上乗せすることが出来るという。そこで私見を言わせてもらえば、現在小学生の国語の授業で文章を書くことにもう少し時間を割き、教えた方が良いとかねがね思っていた。最近の若者が読書をしない、文章を書かない(書けない)のは、義務教育の間にしっかり文章を綴る訓練を受けておらず、文章力が身に着かなかったからであると思う。従って大人になっても手紙を書くことからも逃げ、手紙をもらっても返事すら書かない若者が大勢いる。戦後間もなかった小学校では、国語には2教科、「読み方」と「綴り方」があった。後者は字の如く作文の授業だった。それがその後いつの間にかなくなってしまったのである。

 今では手書きで文章を書くより、パソコンで綴ることが多くなったが、じっくり考えながらペンを走らせているとそれにまつわるイメージが湧いてきて落ち着いた気持ちになれる。そしてペンの力というのは、福沢諭吉の「ペンは剣よりも強し」の言葉通り説得力のある文を作り上げることが出来る。私自身現役時代セールスの折に、顧客に手紙を書いて丁寧に内容を説明しその後終生良き顧客となってもらった例がいくつもある。文章、手紙を書くことで商売上もメリットがあった。そんな体験から在職中は、機会がある度ごとに若手社員に旅行先から顧客に絵葉書を書いて送るようアドバイスをしていた。

 果たして文科省の新制度が、どの程度実施され効果を上げるかは不透明だが、作文の授業を採り入れることは、必ずや子どもたちの文章力を向上させ、また情操教育上も効果的であると考えている。

 先日創立150周年を迎えた母校・千葉市立幕張小学校の榊原英記校長より来年発行予定の創立記念文集に一文を寄稿するよう依頼されたが、今日近著「八十冒険爺の言いたい放題」に推薦文を書いてもらった、6年後輩の椎名誠氏へも寄稿を依頼したとの連絡をいただいた。

2021年6月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com