5157.2021年6月25日(金) 母校・幕張小学校創立150周年と恩師の想い出

 ふとしたことから、千葉市立幕張小学校の榊原英記校長とメールのやり取りをすることになった。かつて幕張小は千葉市内にはなく、幕張町立小学校だった。その懐かしい母校・幕張小は、今年創立150周年を迎えた。1951年に卒業してから今年でちょうど70周年に当たる。偶然にも記念すべき周年行事がダブったように、母校湘南高校も今年創立百周年を迎えた。祝福すべき2つの母校の祝典が、タイミング悪く新型コロナウィルス禍の影響で中止、或いは延期を余儀なくさせられているのが何ともやるせない。

 1949年9月、5年生の時幕張小へ転入して間もなく、湯川秀樹博士が日本人として初めてノーベル賞を受賞し、大きな話題となった。その年は8月に古橋広之進選手が全米水泳選手権で次々と世界記録を打ちたてたり、10月にアメリカから3Aサンフランシスコ・シールズが来日して日本チームを圧倒したり、あまり目立つ事象がない時代だったが、遊び盛りの子どもたちにとっては楽しい時代だった。毎日学校から帰るとラジオに首っ引きだった。そして翌年6年生の時に朝鮮動乱が始まり、担任教師の湯浅和先生からしばしば戦争に至った経緯や戦況について話をしてもらった。5年生時の旅行は鎌倉、江の島で、修学旅行は箱根という案配でわが人生で何かと関係の深い土地を訪れることになった。幕張小では、5,6年生時に担任だった湯浅和先生には教室だけではなく、学校外でも多くのことを教えていただいた。あの時代は一般的にあまり遠出はしなかったが、それでも学校を出て近くの野原へ行っては俳句をたくさん作ったし、図画もいっぱい描いた。あの頃詠んだ俳句に、

        ‘コスモスが ゆれて見つかる かくれんぼ’

 というのがあるが、先生から随分褒めていただいたことが昨日のことのように思い出される。湯浅先生は校長室内に掲げてあった「温故知新」の言葉の意味を嚙んで含めるように教えてくれたが、今もこの言葉を大事にして時々使っている。相撲も一緒に取り組んでは組手や決め手を教えてくれた。「押し出し」と「寄り切り」の違いを知ったのも、その時湯浅先生がジェスチャーで手に取るように教えてもらったからである。先生は口だけで教えるのではなく、身の回りにある題材を使いながら全身で気持ちを込めて物事を丁寧に教えてくれた。情操教育をどの先生よりも心掛けておられたように思う。

 学生時代に歌舞伎を何度か一緒に鑑賞に行ったことがある。千葉市内のご自宅で営まれた葬儀に出席したが、還暦前の早過ぎる旅立ちからすでに三十数年が過ぎた。今も同級生が時折集まっては「和会」を開き先生を偲んでいるのは、皆が先生を慕い想い出しては懐かしく感じているからである。湯浅先生のように身体全部で教育してくれた懐かしい湯浅和先生は、小学校教育の模範であり鏡だと思っている。幕張小で湯浅先生に接したことは、今でも楽しく有意義な時間だったと思っている。

 その幕張小では、現在創立150周年の記念企画を検討しているとの話を伺ったが、そのひとつに記念誌の発行を考えているとのお話である。今日校長からその記念誌に卒業生のひとりとして幕張小の思い出について寄稿して欲しいと依頼されたので、喜んでお引き受けしたところである。幕張小の6年後輩で同級生の実弟であり、今年上梓した「八十冒険爺の言いたい放題」に推薦文を書いてもらった椎名誠氏も多分寄稿されるだろう。

2021年6月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com