5111.2021年5月10日(月) 52回目の結婚記念日は、病院駆け巡り

 今日は我々夫婦にとって52回目の結婚記念日であるが、朝から病院、医院を3軒も駆け回りお祝い気分なんかまるで感じない。実際朝9時過ぎに家を出て帰宅したのが午后4時だった。

 実は最近体調が勝れない。今日一番に新横浜の肛門科クリニックへ行き、その後午后1時に予約していた東京医療センターで昨年11月に手術を受けた右足静脈瘤の最終チェックをしてもらった。これはほぼ完全に回復していると話された。その時手の腫れと膝の痛みについて医師と話し合った結果について、その後訪れた松本整形外科で話して相談に乗っていただいた。特に2月下旬ごろから両手指の腫れが大きくなり浮腫み出し、指に不自由を感じるようになった。大分昔にリューマチ性発筋痛症と診断されたが、その残りカスであるリューマチか、膠原病の可能性があるということになり、近日東京医療センターの専門医に診ていただくことになった。

 静脈瘤と眼科は一応問題ないということがはっきりしたが、これから当分の間各専門医への医院通いが続くことになる。少し憂鬱である。

 それにしても結婚25年目の銀婚式の年には、カナダ大陸を大陸横断鉄道で横断したものだった。西のバンクーバーからジャスパー、バンフまで行き、カナディアン・ロッキーの素晴らしい景色を堪能した。そして東のケベック・シティまで飛び由緒ある観光地をそぞろ歩いたものだ。金婚式の前年には、京都祇園祭と神戸・横浜のクルージングを楽しんだ。ところが、今年52年目は病院巡りとなりあまりにも大きな落差である。まぁ気分を変えて病を治し、来年こそ素晴らしい53年目の結婚記念日を迎えたいものである。

 医院から帰って1枚のハガキを受け取った。唐突に親友の訃報である。大学のクラスも山のクラブも一緒で、随分親しかった。今年になって電話で話したことがせめてもの慰めである。ただ、奥様からのハガキには、苦しむこともなく静かに自宅で息を引き取ったということからご遺族も彼の死を静かに受け止めておられるようだ。そもそも私がビルマへの戦跡巡拝団に深く関わるようになったのは、外交官だったお父上のご紹介で当時の鈴木孝・駐ビルマ特命全権大使を紹介していただき、ビルマへの道が開けたと言える。そのことについては、拙著にも紹介したが、今般あるNPO誌に最近のミヤンマー情勢とあまり知られていないミヤンマーの優しい国民性について紹介した原稿を送ったばかりである。そこにも彼のお父上について軽く触れた。彼が商社のボンベイ(現ムンバイ)駐在員だったころに、私がアフリカからの帰途ボンベイに立ち寄り、長女が生まれたばかりだった友人宅を訪れたことがあった。学生時代には、随分一緒に南北アルプスを登った。昨年夏ごろから急に体調が勝れないと言い、年賀状の交換も今年限りだというので、そんな弱気になるなとカツを入れたばかりだった。こんなに呆気なく逝ってしまうとは、人生も儚いと思う。80歳を過ぎるとこうして親しい人に1人2人と別れを告げなければならないのだと納得はすれども実に寂しいことである。心より友人廣瀬明夫君のご冥福をお祈りしたい。

2021年5月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com