5055.2021年3月15日(月) ミヤンマー国内で戒厳令発令

 ミヤンマー国内におけるクーデター反対集会に対する軍の鎮圧行為は、ついに国内に戒厳令を発令させる事態となった。これによって軍は国民を外出させないよう抑え込もうとしている。まだミヤンマー全土にではなく、最大都市のヤンゴンに続き、今日第2の都市マンダレーの一部に出されたものであるが、軍はこれによりデモ隊を沈静化させようとの狙いである。これまでは比較的犠牲者が少なかったが、昨日はそれが一気に増え1日だけで38人もの死者が出た。

 戒厳令と言えば、何といっても昭和11年の2.26事件を想い出す人が多いと思うが、平和な時代に生活する現代日本人には、実感としてあまりピンと来ないだろう。だが、どういうわけか私はこの戒厳令というものに妙な因縁がある。これまでに3度も戒厳令のトバッチリを食ったことがあるのだ。

 1967年6月に勃発した6日間戦争によってアラブの国々には戒厳令が布かれたが、その半年後に私はヨルダンを訪れ、アンマン市内を散策中にヨルダン軍兵士に突然身柄を拘束されてしまった。解放されるまでは気が気ではなかった。その後訪れたエジプトでもカイロからスエズ運河へ向かう列車内で、スエズ市滞在許可証不所持との理由で車掌に詰問され、スエズ駅到着と同時に警官に身柄を引き渡され仮収容所へ収容されてしまったことである。これはこれで今振り返ってみると懐かしい想い出ともなったが、当時はその急場を逃れるまでは必死だった。

 3度目はタイでマレーシア国内の戒厳令のトバッチリを受けてしまったのである。1969年5月ハネムーンでタイからマレーシアのペナン島へ向かう予定だった。ところが、バンコック空港カウンターで、マレーシア国内で中国人とマレー人との民族衝突が激化して国内が混乱し、前日戒厳令が発令されマレーシアの空港はすべて閉鎖されたために予定のフライトはキャンセルされたと係官に説明された。已むなく行き先を北部のチェンマイへ変更して当初考えていたコースとは大分様変わりしてしまったことである。そのためハネムーンで予定していたクアラルンプールとシンガポールへは行き損なってしまった。

 とにかく戒厳令なんて普通ではあまりイメージが湧いてくるようなことではない。このミヤンマーの戒厳令が国軍にとって国民及びデモ隊を鎮圧するには好都合となれば、全国各地で少しでも反国軍的動きが見られれば、国軍は彼らを抑え込む手段とするに違いない。国連がしきりに非難の声明をアナウンスしているが、中国とロシアを頼りにしている軍部にとってはさほど効いているようには見えない。やはり世界が一斉に手を取り合って同じ行動をしなければ、無法な軍部は手を退くことはないだろう。このところどうもすっきりした気持ちになれない。

 さて、テレビ局というのは、どうしてこうも情報収集と確認が甘く、手抜かりがあるのだろうか。昨日の本ブログに取り上げたように、東京の桜の開花について今日あるチャンネルでは昨日開花があったと言っていたが、ほぼ同時間帯の他のチャンネルでは、靖国神社でレポーターが視聴者に一斉に桜開花をアピールするジェスチャーをやっていたことなど、誰でも知っている事実をまだ掴んでいないかのようなシーンを放映していた。少々呆れた次第だ。

2021年3月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com