5049.2021年3月9日(火) 2.26事件の世相をアルバムに見る。

 昭和11(1936)年に発生した2.26事件は、日本軍国主義化への動きに拍車をかけた大きなきっかけとなった。私の生まれる2年前だからその当時どんな世相だったのか、以前から興味があった。

 偶々自宅書斎に埋もれたままでその当時の東京下町の日常生活を撮ったアルバム集をじっくり見直した。1974年晶文社から発刊された、「東京昭和十一年」と題する桑原甲子雄写真集である。読書好きだった義父から譲り受けた1冊で、何気なく頁をめくっていると何かしら懐かしい匂いがする。このアルバムに見る写真は昭和9年から18年までまたがっているが、昭和11年を中心に13年にかけて撮影されたのがほとんであり、2.26事件のバックグランドを知るには好都合である。中には終戦直後の疎開先で見たような光景もあって妙に懐かしい。撮影した桑原氏は1913年下谷生まれだから、昭和11年と言えば23歳のころだ。

 説明文を読むと多くのあの戦時体制の世の中のありようが想像出来る。いくつか珍しいと思ったことを拾ってみた。

 1.東京市内のどこにも原っぱがあった。今ではほとんどなくなった。

 2.よく雪が降った。雪の中を下駄で歩く人が目についた。そう言えば、2.26事件の折も雪が降りしきっていた。

 3.紙芝居が出回り出した。

 4.浅草界隈は賑わっていた。

 5.どこの家でもおしめと洗濯物を干していた。

 6.旅館は1泊1円

 7.市電より市バスの方が高かった。

 8.昭和12年には小学生の戦勝旗行列が目立った。

 9.中国大陸へ出征兵士を送ることが多くなった。

 10.路地の入口に「牛馬車、自動車通行止」の立看板が見られた。牛馬車がいかに多かったかが分る。

 11.袈裟をかけた愛国婦人と「盡忠報国」の幟が町のあちこちに

 12.女性はほとんど和装

 幼かったが、戦時中や、終戦直後の記憶は今も脳裏に残っており、いくつか思い当たる事象がある。それにしても軍国化の道を歩んでいたあの当時からしばらくして、「贅沢は敵」と言われるようになった。息苦しい時代だったと思う。私たちを育ててくれた両親たちは、随分大変な時代をかいくぐってきたのだと思う。それでもあの苦難の時代を映し出している写真をこれだけ沢山見ると、当時の現実感をまざまざと焼き付けられる。そう考えると写真とは、偉大な歴史資料であることがよく判る。

2021年3月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com