5008.2021年1月27日(水) 聖徳太子は日本にはいなかった?

 今日は意外なことを知った。朝日新聞の「文化・文芸」欄に国文学者・中西進氏が「人生の贈りもの」としてインタビュー連載の中でいろいろ語っている。今日の連載で、中西氏の東大学生時代の国文科同級生で、先日亡くなった作家・半藤一利氏と対談した時に半藤氏が聖徳太子はいなかったと思うと述べたことである。こんな歴史上重要な人物の存在感を覆すような話を半藤氏が亡くなってから知っても、今更半藤氏に確認しようがない。中西氏は万葉集の研究で知られ年号「令和」の決定にも関わったが、4年前までは日本ペンクラブ副会長をされ、総会の折に何度かお話ししたことがある。話好きなせいか、スピーチもつい長引いて拍手で降壇を促されることもあった。

 実際朝日朝刊「文化・文芸」欄で公に聖徳太子不存在説を話されても当惑するばかりである。実のところ半藤説は本当だろうかと疑問を抱いた。小学生のころから聖徳太子の名前を授業で何とも聞かされ、日本最初の十七条憲法を制定した人物と言われ、飛鳥寺をはじめいくつかのお寺に聖徳太子像がある。また、現在の1万円札は福沢諭吉であるが、それ以前は聖徳太子だった。生年月日まで分かっていて唐突に現存しなかったと言われても困る。あれほど歴史上の事実を追及するのに熱心だった半藤氏が、何故そのような悩ましいことを、いくら親友とは言え中西氏に語って謎を残したまま冥界へ旅立ったのだろうか。

 鎌倉幕府が成立したのは、1192年と考えられていたが、何年か前に実際には1185年の方が相応しいということから、頭の切り替えをして「イイクニ」から「イイハコ」と考えるようにした。鎌倉幕府の成立については多くの専門家が精査、検討したうえでそうしたのだろう。だが、聖徳太子がいなかったとは、半藤氏だけの考え、推察ではなかったのだろうか。今更聖徳太子なんてこの世にいなかったなんて言われても、確たる証拠があるならともかく思い付きのように言われても困る。

 ところが、この話を近くに住んでおられる小中陽太郎さんに電話でお話ししてみたところ、その話は以前にもかなり信憑性を持って伝えられたと仰った。調べてみたら良いのではないかとアドバイスされたので、早速ネットで調べてみると2つの説があった。聖徳太子は「いた」、とも「いなかった」とも結論は得られなかった。いずれも聖徳太子が「厩戸王」の名で、十七条憲法制定、官位十二階の制定、遣隋使の派遣など後世に残る数々の偉業を成し遂げた。そして厩戸王が後世聖徳太子と呼ばれるようになった。それなら聖徳太子はいたことになるが、それがそうでもないようだ。このため、近年日本史教科書には、聖徳太子の業績があまり掲載されなくなったという。日本歴史上の変更があるのだろうか。

 こういうことなら、ここは半藤一秋氏にもう少し生き伸びて、聖徳太子不存在論に積極的に加わって。一石を投じて欲しかったと思う。

2021年1月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com