4975.2020年12月25日(金) 昭和13年生まれのなかにし礼氏逝く。

 今日またひとりの有名人の訃報を知った。直木賞作家で作詞家としても広く知られるなかにし礼氏である。なかにし氏とは同じ昭和13年生まれであるが、私は東京中野でごく普通の家庭に生まれたのに引き換え、彼は盧溝橋事件をきっかけに始まった日中戦争の最中に満州で生まれ、戦後日本に引き揚げた。家庭的にも随分苦労されたようだ。偶々同時期に日本ペンクラブの会員になり顔合わせをしたのが、2002年東京会館で開催されたペン総会場で紹介された時である。その時「初めまして、こんにちは」と軽く会釈した程度で、その後会ったことはないが、どことなく華やかな雰囲気のある人だった。その時同時に会員になった人に菊間千乃弁護士がいる。

 なかにし氏が亡くなる3日前には、作曲家の中村泰士氏が他界された。中村氏は私たちより1歳若かったが、同世代人としてその活躍ぶりは気になっていた。歌手の細川たかしが嘆いていた。彼のヒット曲「北酒場」は、中村氏が作曲した。随分辛そうな哀悼の言葉で師の永眠を嘆いていた。そして3日後の一昨日その「北酒場」の作詞家だったなかにし礼が後を追った。自分の持ち歌であるヒット曲を書いてくれた作詞家と作曲家を、時を経ずに喪うのは、さぞかし辛いことだろう。私のようなダサい82歳とは異なり、なかにし氏はいつもカッコ良かった。

 さて、このところ大きな話題になっているのが、安倍晋三前首相の「桜を見る会」の夕食会の費用を安倍氏が個人的に補填していた問題である。これまで事実と異なる答弁を118回も繰り返していたというからとても普通ではない。「会計処理は私が知らない中で行われた」と終始責任逃れを繰り返していた。一国の首相ともあろう者が、一切合切を秘書に委ねて事務所の会計をまったく知らなかったというような詭弁を誰が信じることが出来ようか。今夕の朝日「素粒子」欄に「よくもまあ最長政権のトップが務まったね、事務所も仕切れずに。『秘書が、事務所が、私は知らない』を連呼」。

 実際、安倍氏は首相時代に「事務所は関与していない」「明細書はない」「差額は補填していない」と事実と異なる答をしていた。その結果として公設秘書は起訴され、安倍氏本人は不起訴処分となった。嫌なことはすべて部下の責任にする最悪上司の典型である。今日安倍氏は衆議院議院運営委員会に出席し、道義的責任を痛感し、国民と全国会議員に国会の信頼を傷つけたとして謝罪した。しかし、議員辞職する気持ちはあるかとの野党議員の質問には、正面から答えず、はぐらかして終わった。

 安倍前首相は、モリカケ問題を追及された際には、妻や自分の行動に虚偽があれば、総理大臣の職はもちろん、国会議員も辞めると大見えを切ったが、事案は異なるとはいえ、118回も嘘をついたら辞めて当然である。その事実は消すことは出来ない。これは明らかに安倍氏自身が、すぐにも議員辞職すべき喫緊の課題ではないか。同時にこの問題で、安倍政権の官房長官として安倍氏と同じ答弁をしてきた菅義偉首相も、事実と異なる答弁を行ったとして国民に謝罪した。堅実そうな菅首相であるが、同じ体質だとするといずれ前首相と同じ問題が出て来る可能性がある。

 今日全国の新型コロナウィルス感染者数は、昨日の過去最多を抜いて3,832人で2日連続最多となった。また、イギリスから帰国した日本人が陽性感染者と言われていたが、その内の5人が日本人として初めて変異ウィルスに感染していたことが判った。また、新たに厄介な問題を抱えることになった。

2020年12月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com