4868.2020年9月9日(水) 今日はおめでたい重陽の節句

 今日9月9日は、祭日ではないが、おめでたい重陽の節句である。世界史上では中国の毛沢東・国家主席が亡くなった日でもある。

 ついては、今日誕生日を迎えられた小中陽太郎さんは、生まれたのも昭和9年9月9日で、いわば「三重陽」とでも呼んだら良いほどおめでたい日に誕生された。お名前も重陽からつけられたと伺った。新型コロナウィルス感染の影響で、ご近所に住んでいながらしばらくお会いしていない。4月に明治記念館でお花見をする予定だったが、コロナ禍により急遽中止にした。取り敢えず、Face bookにお祝いの言葉を書いたところである。

 この9月9日については、印象的な思い出がいくつかある。1976年には翌10日に羽田を発って旧文部省教員海外研修団で全国各地の30名の先生方にお供して欧米7か国を1か月間に亘って訪れ、ストックホルムとアメリカ東海岸のニュー・ベッドフォードで学校など教育施設を見学した時である。実は、その前日9日に中国の毛沢東・国家主席が亡くなり、国内外でも大きな話題となった。毛沢東は歴史上最も多くの人を殺害し、その数は実に6千万人と言われている。すべてが意図的に殺害したわけではないにせよ、農業政策の失敗による農村の食糧飢餓により餓死者を含めても桁外れに多くの国民を死に追いやった。毛沢東主席に比較してしばしば例に挙げられる旧ソ連のスターリンは、その残虐性によってライバルや、批判的な意見を言った人物を片っ端から無情に殺害した殺人鬼と呼ばれていたが、それでも被害者の数は2千万人である。毛沢東がいかに冷酷な独裁者であったかが想像出来る。

 その毛沢東は、亡くなる前年の1975年8月、82歳8か月の時に右眼の白内障手術を受け、手術後1年にして83歳9か月で他界したそうだ。私は81歳10か月で左眼の白内障手術を受けるが、毛沢東の永眠までまだ2年ある。妙な点で似ているが、私は毛沢東とは別で虐殺とはまったく無関係であり、精々ニアミスにならないよう健康に留意したい。

 特に前記の旅行で印象的だったのは、ニュー・ベッドフォード研修で余暇にジョン万次郎がホイットフィールド船長に救われ、船長とともに暮らしていた船長の自宅と博物館を訪問したことと、まだ東西対立が激しかった西ベルリンに滞在し、バスで国境検問所「チャーリー・ポイント」を東ドイツ兵の厳しい監視下に東ベルリンへ入域した時であり、その緊張感は何とも言えなかった。帰国後ジョン万次郎の寄宿家を訪れたと義父に話したところ、何と義父の大叔母が中浜家に嫁いでジョン万次郎の実家中浜家とは遠縁に当たると聞いてびっくりしたことがある。近々上梓する拙著のあとがきにこの点についても軽く触れた。

 今日9月9日は他にもいろいろ思いがあって、今でも忘れられない1日となっている。

2020年9月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com