4860.2020年9月1日(火) 「防災の日」で本来なら「2学期最初の日」

 97年前の今日関東大震災が発生した。死者、行方不明者合わせて10万5千人もの犠牲者を生んだ大惨事だった。それを忘れないために今日は「防災の日」と呼ばれ、官民ともに防災に備えて訓練が行われる。ところが、今日はその種のニュースが伝えられず、もっぱら自民党総裁選の噂ばかりである。

 75年前の今日は、戦後最初の2学期開始の日である。幼い子どもには、「終戦」という強い記憶と印象はないが、それでもひとつだけ今以て忘れられない辛く悲しい記憶が残っている。国民学校入学直前に父が千葉市へ転勤になったので、疎開を兼ねて内房総の勝山町(現鋸南町)へ引っ越した。勝山国民学校へ入学し近所の長屋に住んでいた金田くんという朝鮮人の友だちと毎日一緒に通学し、学校から帰ると仲良く遊んだ。2学期の最初の日に、担任の青木先生から「皆さんのお友だちの金田さんが、お父さんの故郷の朝鮮へ帰りました。皆さんによろしくと言っていました」と突然言われた時は、大きなショックだった。あれだけ毎日一緒に遊んでいたのに「さよなら」も言わないまま別れてしまったことが子ども心にも辛かった。この悲しい別れについては、近々上梓予定の拙著「八十冒険爺の言いたい放題」にさらっと書いた。戦争が終わって一番印象に残っている出来事だった。

 今日松本整形外科医院へ向かう途上目黒区立宮前小学校傍を通ったが、校庭には誰ひとり生徒はおらず閑散としていた。目黒区は小中学校の夏休みを短縮してすでに学校は始まっている筈だが、残念ながら終戦後の子どものころの記憶の面影を追おうとしても、2学期が開始されたフレッシュな雰囲気は窺えなかった。

 さて、自民党総裁選出に当たっては、広く全国党員の声を聞くべしと一部議員、党員から強い要望があったが、自民党大会は開催されず、来る14日に自民党議員総会の開催が決まった。これについては過去に同じようなことがあった。

 2011年旧民主党は菅直人首相が辞任して、同じように党員、サポーターを参加させずに国会議員だけで野田佳彦次期代表が選出されたことがあった。この時菅氏はブログでこんな身勝手なことを書いていた。「与党の代表を選ぶことは、日本の総理を決めること。候補者が自らの考え、政策を広く国民に示し、議論を深めるべき」と民主党の選出方法を批判していた。その方式を批判した菅官房長官がよくぞ同じようなことを実施出来るものだ。今度は回りまわって自分が、その当事者になる。恥ずかしいとは思わないのか。この点を昨日の記者会見で問われた菅氏は、「政府としての立場でのコメントになるので、そこは控えたい」とノーコメントだった。追い詰められても切り抜け方がうまい菅氏の面目躍如である。余計なことは言わないが、正論も語ろうとしない菅流対応術は「その批判は当たらない、個別の案件には答えない、仮定の話には答えない、適切に処理している、と思っている」といつもと同じように通り一遍の答え方をしているだけである。本音を隠して上手に誤魔化す薄ぺらで、つまらない首相が誕生しそうだ。

2020年9月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com