11時に駿河台の「山の上ホテル」で小中陽太郎さんとベオグラードから訪日中の山崎洋さんと待ち合わせてランチをともにした。この玄人好みのホテル別館は最近封鎖され、ホテルの人に確認すると元々借地だったが、地主に土地を返還するので今後は本館だけで営業するという寂しい話を聞いた。作家らに好まれた別館内の和食レストランも当然廃業ということになる。一度友人に評判の天麩羅をご馳走してもらったことがあるが、昔の趣のある建物やランドマークが消えていくのは実に寂しい。
その後隣の明治大学リバティータワーで開かれた「第8回ゾルゲ事件国際シンポジウム~ゾルゲ・尾崎処刑70周年 新たな真実~」に参加した。これは日露歴史研究センターがゾルゲ事件の研究者らに対して、研究の題材を提供し、地道に啓蒙活動を行っているのだ。パネリストはもとより出席者も大学教授などの研究者が多い真面目な企画である。山崎さんはここでオーストラリアから来日中の異母兄ポール・ヴケリッチ氏と甥、姪と再会した。ポールと山崎さんはゲストとして最初に紹介をされた。二人とも今ではゾルゲ事件に最も近い身内の生き証人と言えるのではないだろうか。
小中さんは5人のパネリストの冒頭に「ゾルゲ断章-わたしの執筆ノートより」と題して、現在執筆中のゾルゲ事件についていくつかの視点からご自分の考えを述べられた。小中さんのレジュメを見て何と山崎さんの母上とのやり取りの中に、私の名前と拙著が紹介されているのにびっくりした。
主宰する組織の名に見る通りロシアとの交感が多いようで、今日もロシア駐日大使館から担当者が出席されていたが、パネリストのひとりとしてロシア国立軍事公文書館のミハイル・アレクセーエフ研究員が登壇され、ゾルゲ諜報団「ラムゼイ機関」は二重スパイだったと戦前の通説を述べられた。ゾルゲの奔放な性格にもよるが、彼の言動は誤解されやすく、とにかくソ連政府が戦後大分経過してからゾルゲの名誉を回復させるまで、ゾルゲは不審と疑いの眼で見られていたとの報告は傾聴に値するものだった。
また、レジュメ集はなかなか内容の濃いものであり、日露歴史研究センターが真剣に日露の研究課題を発展的に拡大させていこうとの意図が感じられる。関係者の労を多とするものである。