2779.2014年12月22日(月) 森喜朗元総理忘年会出席者800名に拙著

 一昨日のJR東京駅開業記念の記念キップ「スイカ」が昨日東京駅で限定販売されたが、1万5千枚の発売に対して大勢の購入希望者が前夜から立ち並び、途中でJRサイドが発売を中止したために大混乱に陥った。記念品として持っていたいという鉄道ファンの他に、近年問題になりつつある高値でネット販売をしようとする人が押し寄せ、JR側が充分な対応と会場整備をしなかったせいで現場で大揉めに揉めた。結局8千枚を売りさばいた時点で中止になったわけだが、JR側の甘い身通しと現場の販売体制への対応が不十分だったことが混乱の大きな原因となった。記念すべき100周年記念行事の一環が、イベントが主催者JRの杜撰な計画により汚点を残す後味の悪いイベントとなった。

 実は昨日の新聞各紙でもこれを大きく採り上げ、朝日の如きは社会面全面を使用して報道していたが、その記事に偶々親戚の松丸道雄・東大名誉教授の思い出話が掲載されていた。赤レンガの建物とともに象徴的な銅板の赤い屋根は、実は空襲後は鮮やかな緑色だったと語っている。時が経てば、赤は酸化で緑色に変色すると改めて知った。

 さて、今夕は森喜朗元総理後援会「春風会」の忘年会が東京プリンスホテルで開かれた。ギブアウェイに拙著「南太平洋の剛腕投手」を800名の参加者に贈られるので、直接お礼も伝えたくて出席した。隣の宴会場ではオバサマに人気の杉良太郎がディナー・ショーをやっていた。

 やはり忘年会は代議士時代のパーティと同じで、広い会場には後援会の人たちが大勢集まりむんむんするような雰囲気だった。著名人もいなかったせいであろうか、壇上で挨拶する人はいなかった。ひたすら食べて懇親を深めることが目的である。乾杯をプロゴルファーの青木功氏がコミカルな挨拶を交え行った。後は森さんの独壇場で約30分に亘って、オリンピックに賭ける夢を語り出した。昨年9月リオのIOC総会で2020年の東京開催が決まった時の嬉しさは格別だったと話した。た。何でもその時の日本中の喜びようは日露戦争で日本が勝利した時以来だとボルテージが上がった話には恐れ入った。森さんはバッハIOC委員長にオリンピック開催についていくつかの提言をして受け入れてもらえたと自慢話も披露された。政界は去ったが、まだお声のかかる内は、お役に立ちたいと述べられたが今では森さんは日本で最も忙しいおひとりだと思う。

 森さんと長谷川秘書に挨拶をして会場を離れる時、受付の女性から中封筒を手渡された。この中に拙著が入っていると思うと気持ちもそわそわして、心が弾む。後ろにいた方が、中封筒から拙著を取り出し、面白そうな本だなと言っているのを聞いてつい嬉しくなった。手に取った方がどういう読後感を持つだろうか。知り合いに勧めてくれれば有り難い。

 妻は先日の出版記念会を開催したハイアット・リージェンシー東京のディナー・ショーにお気に入りの和服で出かけた。私も当初それに出席予定だったが、森さんの忘年会と重なり行けなかった。しかし、記念すべき忘年会に出席できてそれはそれで大変良かったと思っている。

 今日年賀状550枚を投函した。まだ若干書き残している。

2014年12月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com