2801.2015年1月13日(火) アルペンクラブ後輩の遭難死を想う。

 数日前から左眼の周辺に疼くような痛みを感じて困ったなぁと思っていた。最初は眼鏡の度が合わなくなってきたのかと思ったが、昨年4月に新しく買い替えたばかりでそんな筈はないとも思い、気分が晴れないまま、あまり長くPCに夢中にならないようにしたり、時々眼鏡を外したり無駄な抵抗をしていた。今日かかりつけの森内科で診てもらったところ、昨年来罹っていた風邪の影響か、或いは患部の場所から考えて鼻に原因があるかも知れないとの話に、しばらく風邪薬を飲んで、なお具合が良くなかったら一度耳鼻咽喉科で診てもらった方が良いとのアドバイスをいただいた。新たにいただいた薬の効果次第である。序に測ってもらった血糖値数は131だった。正常値のマックスが105だから若干高いかなぁという気がするが、それほど心配する値ではない。

 それにしてもかつては健康優良児だったことを考えると、寄る年波とは言えちょっと情けない。今体調を崩して自分のやりたいことができなくなるとは、とても耐え難いし悔いが残る。何とか早く病気を根治しないといけないと思っている。

 さて、今日沼津市にお住まいの谷口さんご夫妻から昨年12月29日付読売新聞岩手版のコラム「記者ノート2014」のコピーを送っていただいた。谷口さんの子息龍二くんは大学アルペンクラブの後輩で、わが家の2人の息子たちの家庭教師を務めてもらい、良い遊び相手にもなってくれた。小学生だった二男はスキーにも連れて行ってもらい良い思い出を作ってくれた。その彼が1995年9月ヒマラヤのシプトン・スパイアー(5850m)の岸壁上から転落して亡くなった。葬儀には妻ともども参列したが、あまりにも若く非業な死は周りに大きな悲しみを与えた。その谷口くんは87年南アルプスの農鳥岳で遭難しかかっていた、岩手県大槌町の男性を同行の友人とともに救助し表彰された。その男性は東日本大震災で92歳の母親と兄を行方不明として失った。その後大阪からボランティアで来ていた同じアルペンクラブの後輩が、その男性の手元で谷口くんのご両親から大槌町の男性へ送られた追悼集を見つけ、不思議な縁を想った。このコラムを書いたのが、同じアルペンクラブで谷口くんの同級生で農鳥岳の遭難を下山して伝えた現読売新聞盛岡支局長の丸山謙一氏である。

 このストーリーには随分偶然が重なっているが、大槌町の男性が助かったのも谷口くんが偶然傍で献身的に介護する役目を果たすことができたからだと思う。私には谷口くん自身の不慮の遭難死までの思い出しかない。夕方になるとよれよれのオートバイに乗ってわが家にやって来た。くれぐれも事故に気をつけて帰るように話したことが昨日のことのように思い出される。遭難する前にもアメリカのヨセミテ公園のハーフドームで、宙吊りになったことがある。登山好きというより根っからのロック・クライミング好きだった。今でも人懐っこく爽やかな笑顔が瞼に浮かんでくる。

 ご両親のお手紙で久しぶりに谷口龍二くんを懐かしく想い出した、心に残る新聞のコラムである。改めて谷口くんのご冥福をお祈りしたい。

2015年1月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com