阪神・淡路大震災発生から今日でちょうど20年になった。地震発生時刻の今朝5時46分には、神戸市内及び全国各地で多くの市民が頭を垂れて黙祷した。震災の年に生まれた子は、早くも来年成人式を迎える。20年はあっという間である。
人一倍印象的な事実を思い出すことがある。20年前のあの日の朝食時のことである。リオのアミーゴ、アーリンド・フルタードさんから、不意に電話があった。何ごとならんとおっとり刀で受話器を取ったら、遥か地球の裏側の友から震災のお見舞いをいただいたのである。私が東京に住んでいるので家族は大丈夫だと思っているが、神戸に親戚や友人がいないか、また彼らの身元は大丈夫だろうかと私の周辺の身の上を気遣った電話だった。その時地震直後に私や家族の身の上まで心配してわざわざブラジルから電話までしてくれて温かい気持ちに触れることができて涙が出るほど嬉しかった。
そのアーリンドさんが来日した折には、日光や、河口湖、山中湖、箱根にも行ったし、わが家にも来てもらい息子たちと一緒に、その当時Jリーグ鹿嶋アントラーズで活躍していたジーコ選手のプレイを楽しくテレビ観戦したことがあった。
ところが、この2年ばかり音信が途絶えてしまった。昨年もカードを送ったが、彼からは送られて来なかった。毎年欠かさずバースデイ・カードとクリスマス・カードを送ってくれたほど几帳面で筆まめだったアーリンドさんも、寄る年波に勝てず健康を害しているのだろうか、ちょっと心配していたところである。そろそろ卒寿を迎えるお年だが、一度コパカバーナ海岸近くのアパートをお訪ねした時は、独身貴族で身軽なせいか、室内はきれいに整頓されていた。
この阪神大震災記念日がやって来るたびに、アーリンドさんからもらった温かい電話を思い出す。アミーゴが元気でいてくれれば良いのだがどうにも気にかかる。
さて、最近特に地震、それも東日本大震災の余震とか、各地で発生する微震が話題になることが多くなった。いついかなる時に地震が発生するか分からないと言われては、体験のない人は戸惑うのが普通である。
私自身目の玉が飛び出るような大地震に遭った経験がある。20世紀最後の大地震と言われるトルコのイズミット大地震に思いがけず遭遇したのである。今から16年前の1999年8月17日午前3時だった。地震はマグニチュード7.6で、1万7千余りの人々が尊い生命を落とした。揺れは約37秒もの間続いたと言われた。その時トロイ遺跡を見学するために、震源地近くのチャナッカレという町に滞在していたが、熟睡中に突然大きな揺れに思わず目が覚め、しばらくぼぅっとして、荷物が落下する大きな音に慌てて逃げようとベッドから降りた途端揺れが止まった。この大地震のお陰でトルコならではの意外な事実や習慣を知り、思いがけない体験をしたことがその後著述業をやっていくうえで大いに役立っている。
地震と言えば、1989年10月にもサン・フランシスコで大きな地震に遭っている。この時は郊外をドライブ中だったのでそれほど揺れを身体に感じることはなかった。その他にもロンドンとシアトルでは宿泊先のホテルで火災を経験している。
それにしても、神戸では家族を亡くされた方々の話を聞くと胸を詰まらせられる。これまで私自身は危機一髪の経験が何度かあるが、何とか切り抜けて来ることができた。これからも無事でいられるよう望んでいるが、今や世界中が地殻変動の最中で何が起こるか分からなくなった。その時点で慌てないことが大切だと思う。すっかり私自身の自然災害体験記になってしまった。
ところで、ちょっと脱線するが、夕食を外で取ろうと妻と出かけ、天麩羅の老舗「天一」に入った。メニューに書かれていた「公魚」という文字に目が留った。店員に尋ねてみると、何とお店では伝統的に「ワカサギ」を「公魚」と書くのだそうである。帰宅して「大辞林」を引いてみると、確かに「ワカサギ」には、「若鷺」「鰙」の他に「天一」の「公魚」があった。しかし、「ワカサギ」が何ゆえ公の魚なのだろうか。まったく分からない。