近所の駒澤公園にほぼ毎日のようにウォーキングに出かけている。残念ながら、1964年東京オリンピックの際に建造された公園内の各種競技施設が、2020年大会では使用される予定がないという。実にもったいない話だと思う。それにも拘わらず最近屋内球技場と第一球技場が取り壊され、設計図面によると現在斬新なデザインの新体育館と新球技場が建設されつつある。完成図を見ただけでは何とも言えないが、中々近代的で素晴らしい施設だと思う。だが、どういうわけだか、折角再建されるこれらの立派な施設も、現時点では2020年大会では使用される予定がないようだ。
そもそもこの駒澤公園の正式名称は「駒澤オリンピック記念公園」といい、64年東京大会で使用され、ここで開催された記録と足跡を後世に伝えるためにそう命名されて保守管理されてきた。それなら2020年大会で使用すれば、その名は更にアピールできるではないか。今だって施設は64年大会で使用された陸上競技場、屋外球技場、体育館はしっかり維持され、各種の競技大会に使用されている。周辺環境は都内でも数少ない緑地帯で立地的にも都内の中心的な場所にあり、交通至便であり、多くの観客を集める点でも申し分ないと思う。
なぜこれだけオリンピック競技会場として地理的にも適した素晴らしい施設と環境がありながら使用せず、国家財政が厳しい中を敢えて巨額な投資までして新たな‘金食い虫’施設を有明周辺に造るのか、その真意と意図がまったく理解できない。
オリンピック関連施設とは別に駒澤公園の施設管理面でも分からないことがある。
それは、64年大会でバレーボールやレスリング会場として使用された体育館の入口前に堂々と建っている看板塔(広告塔か?)の存在である。高さ3mはあろうかと思われる立方体の塔は、広告塔としての役割を充分担っているように見える。それが今なお「スポーツ祭東京2013」と書かれている。2年前の広報である。あんな目立つ場所に過去の催しをどうしていつまでもPRしているのか、その感覚が理解できない。実はスポーツ祭が終わった一昨年末辺りから少々気になっていた。
ところが、翌2014年になっていつまで経ってもこの広報看板を新たな看板に代えるでもなく、取り払うでもない。そして10月ごろになって漸く新しいイベント告知に代えられた。やれやれと思っていたら、何とそのイベント企画終了と同時に、元の木阿弥というべきであろうか、再び看板は「スポーツ祭東京2013」に戻っているではないか。今日も駒澤オリンピック公園内の体育館入口前には、2年前の「スポーツ祭東京2013」看板が堂々と掲げられていた。近隣の住人としてもこのピンボケ感覚は理解に苦しむし、恥ずかしいとも感じている。隣人も首を傾げていた。東京都の役人が、簡単にやるべきことをたださぼっているとしか思えない。
自治体、並びにオリンピック関係者にとっては住民の気持ちとは関係なく、恥ずかしげもなく、しかも片付けるという気持ちなんかさらさらなく、ただ漠然と目の前にある作業だけを進めているだけなのである。何とまぁ役所というのは気楽で退廃的なことか。こんな弛みきった気持ちで2020年オリンピック開催なんて本当に大丈夫なのだろうか。