毎年この時期に高校時代の親しい友人6人で昼食会をやっている。一昨年からJR大船駅近くの中華料理店で談論風発を楽しんでいる。今日も久しぶりに6人が顔合わせできるかと思いきや、会場で2人が来られないと知らされちょっとがっくりである。不思議なもので、その2人は昨年の拙著出版記念会に出席してくれた仲間だ。今日もその時のDVDを差し上げようと持参した。そして昼食会に来た私を除く3人が、記念会にはぜひ出席すると言ってくれた友人たちだが、生憎先約とダブって来られなかった。
今日来られなくなった2人には、それなりの理由があるので止むを得ない。ひとりは、仕事上の急用で、もうひとりは普段から心臓が良くなく治療で大分苦労しているが、今度は「舌」が良くなく検査と重なってしまったらしい。積もる話がたくさんあったので大変残念である。
実は、今日やって来た3人だってそれぞれ持病を抱えていてあまり楽観できないという。ひとりは産婦人科と小児科以外の病をすべて背負っているというくらいである。その点で大病を患うこともなく、まずまず健康なのは私ひとりだけということである。今年中に喜寿を迎える連中ばかりだが、もうそういう年齢になったということを否が応でも納得させられる。それにしても話題がどうしても健康の方へ傾いていく。
私を除くと5人にはそれぞれ健康面で不安があるようなので、当面来年以降の予定も決めにくいところだ。そう言えば、同年代の友人たちから来年から年賀状の交換を遠慮したいとの連絡がいくつか来ていた。あくまで個人の自由ではあるが、折角今日まで営々と築き上げてきたいろいろな形の交誼、付き合い方、友人関係をこれから残された人生において一方的に止めて捨て去ることはもったいないと思っている。自らを取り巻く社会環境・交友関係を自分から狭めてしまうのではないかと思うと個人的にはあまり賛成できない。
確かに手紙を書くのは普段書き慣れていないと、面倒で手間がかかると思う人はいると思う。だが、その人たちのお陰で人生を楽しく有意義に過ごすことができたという一面もある筈である。そう考えると、交友関係を一方的に切り捨てるのはいかにも惜しいような気がする。これでは人生を人との交流をなくして無味乾燥なものに近づけ、つまらないものにしてしまうのではないかと心配である。
幸い今日集まった親友6人組の友情にはそんな気持ちはさらさらない。一方で、まだその気になればいくらでも交友関係が広げられる人たちが、自ら友達づくりをギブアップするのは、未だ人生を全うしきれていない浅学非才のわれわれ喜寿6人組から見れば、どうにも惜しい気がしてならない。