4259.2019年1月10日(木) 「兼高かおる世界の旅」の兼高さん亡くなる。

 今月5日に日本旅行作家協会名誉会長の兼高かおるさんが亡くなられた。8日に通夜、昨日告別式が親族とごく一部の関係者だけで営まれたと協会事務局長から連絡があった。すでに亡くなった5日に協会から連絡をもらっていたが、葬儀一切が済むまで㊙にとの断り書きが付いていた。漸く葬儀が終わり昨晩訃報を公に出来ると知らせてもらった。今朝の新聞や、テレビでも比較的大きく扱われている。

 それはそうだと思う。兼高さんは海外旅行がまだ自由化されていない時代に、世界旅行の先駆けとなられ世界中を旅された人で、随分羨ましく思ったものである。1958年世界一周早回り企画にスカンジナビア航空機に搭乗して挑戦し、73時間強の当時の世界記録でこれを成し遂げた。1959年から毎週日曜日になるとTBS系テレビで31年も続けて放映された「兼高かおる世界の旅」に出演したが、中々楽しく興味深く視聴率も高い番組だった。本来なら高い評価を得たこの番組はずっと続く予定だったが、番組で個性的な聞き役をされた芥川隆行氏が亡くなったことで番組は終止符を打たれてしまった。兼高さんご自身もまだ続けたかったようだった。止むを得ない事情ではあったが、残念な終わり方だったと思う

 兼高さんとは2011年5月会長を退かれ、名誉会長に就任された日本旅行作家協会総会の場で初めてお会いして親しくお話を承った。行動的でスポーツウーマンだった兼高さんは、中部太平洋の島々でもよくスキューバ・ダイビングをされた。マーシャル諸島共和国では島の啓蒙活動に力を尽くした功績により無人島を贈られ、その島には兼高さんの名が付けられている。その後拙著「南太平洋の剛腕投手」の執筆中に、兼高さんもよくご存じだったトラック島のアイザワ大酋長の軽い虚言壁について真偽のほどを尋ねたことがある。兼高さんは嘘をつくことはあの島の島民性とも言えるので、あまり深刻に受け取る必要はないのではないかと容認されておられた。愉快だったのは、兼高さんは2月29日生まれ(1928年)で誕生日が4年に1度しか巡ってこないので、まだ20何歳だと誇らしげに話しておられたことである。亡くなられてしまったが、さしづめ享年22歳ということになるのだろうか。

 兼高さんには長い間テレビを通して知的で楽し時間を与えていただいた。父親がインド人貿易商で彼女は神戸で生まれたが、彼女の兄と慶応で同期だった会社の元上司から兼高兄妹についてエピソードを伺ったことがある。あのような行動的で、しかも上品な女性はあまりおられないと思う。「麗珠院薔薇清薫大姉」(レイシュインソウビセイクンタイシ)と戒名を授けられたそうだが、「珠」は母親の名から、「薔薇」は彼女の本名・兼高ローズから取られたそうである。

 心よりご冥福をお祈り致したいと思う。

2019年1月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com