4246.2018年12月28日(金) 手紙を書こうという気持ち

 今朝の「天声人語」にはちょっと驚いた。このところ年々手紙やはがきを書く人が少なくなり、それは正月恒例年賀状にして然りである。「天声人語」氏は小学生の例を挙げて嘆いている。親や周囲が葉書の書き方を教えないから、葉書の受取人、差出人の住所、名前をどこに書いたら好いのか分からない。郵便番号欄に電話番号を書いたり、出席番号を書く子がいるという。葉書代がいくらか、また全国同一料金であることも知らない子が多いらしい。その犯人像として、やはりイの一番にスマホがやり玉に挙がる。意外に感じたのは、子どもたちが手紙を書かなくなった原因に、相手の住所が分からないということがある。これも不思議である。これは個人情報保護法のせいで、クラス名簿を作ることが難しくなって住所を知ることが難しくなったからだという。それより手軽にメルアドを聞いてスマホを容易に使うことがあるといことである。

 時代が変われば文化も変わるということは分かるが、それにしても作文、手紙を書こうという気持ちが一番大事だと思うし、それを周囲の親や先生が手を貸してあげていない現実が問われるべきであろう。

 元旦に母校の湘南ラグビー祭で1、2年生部員に拙著「新・現代海外武者修行のすすめ」を贈り、2つばかりアドバイスすることを考えている。そのひとつが、文章を書く習慣をつけることであり、そのためには毎日習慣的に日記を書くことと手紙を書くクセをつけることである。もうひとつは、拙著名の通り若い時にひとりで海外へ出かけることである。果たして彼らがどういうリアクションをして、心に留めてもらえるかは分からないが、いずれも若者にとっては最も大事なことだと確信している。

 それにしても文章を書かなくなったというのは、ペンクラブ内でも一般的にも感じることである。コツコツ仕上げることや地道に作業を行うことを避けて、簡単に手をかけずに事を進めようとする時代の風潮だろうか。

 手紙についていえば、先日まとめて投函した年賀はがきのうち1通が戻ってきた。「あて所に尋ねあたりません」ということだが、数年前にも同じことがあった。転居先の連絡することもなく引越しと同時に姿を隠してしまうような感じでちょっと寂しい気がしている。年賀状というのは、気持ちが通い合ってお互いを慮って現状を1年に1度確認するということが、大きな目的だと思うが、そういうことも面倒だと思うようになったのだろう。寂しいことである。

 さて、ほとんどの会社が今日御用納めのようだが、東京証券取引場も今年の取引を終えて大納会となった。第2次安倍政権は今年7年目に入ったところだが、過去6年は毎年日経平均株価は対前年で上昇していたが、今年は対前年2,750円(-12%)の大幅ダウンの20,014円で終わった。10月には、実に26年11カ月ぶりに24,270円まで上昇したが、年末が近づくにつれ下落する一方で、さしも強気だったアベノミクスも終焉に近づいている前兆ではないだろうか。

2018年12月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com